趣味のおもちゃばこ

メタル・ロックと百合とたこやきとお話を書くことが好きな私、雨宮 丸がつぶやく多趣味人間のブログです。

聖戦の勇者「あああああ」

「ああ、あまりにも無慈悲だ……。人の名前というのは重く尊い物であるというのに……!」

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 遠くで、戦いに臨む者へのファンファーレが鳴り響いている。平穏な日々を取り戻すために戦地へ赴く者の為の歓声が鳴り止むことはなく、遥か遠くに伸びる大空へと木霊している。彼らの声援こそ僕たちの勇気を掻き立てるのだ。

「そろそろ、この国の混沌を打ち破る為の導きを下さる我が主がお見えになる……どのような方なのだろう」

 僕は未だ暗闇に包まれた視界を睨みながらその時を待つ。視界は黒色に遮られていても僕に向けられているファンファーレが鳴り止むことはない。そして聞こえてくるたくさんの人々の声。しかし、その声の中に僕の名前を呼ぶ者はなかった。なぜなら―

「主が降臨された時、それは即ち僕の名前が決まる時。どのような名前が頂戴されるのだろう……今から楽しみだ!」

 やがてファンファーレと歓声が小さくなっていき遂には聞こえなくなった。少々心細い物があるが、今の僕にはそのような小さな心配を打ち消すような期待が、心の奥で激しく燃え上がっていた。

「さあ、幕開けだ……! 主よ。僕を、この先現れるであろう仲間たちを導き給え!」

 暗闇が晴れ、次第に白い光が辺り一面に行き渡る。

 この光が指し示すもの、それは戦いの火蓋が切って落とされる合図なのである。

 

 

「……随分長いオープニングだな。一応初見だから最後まで見たけど、在り来りな内容だな」

 目が眩む様な光がようやく弱まり、視界が良好になってきた。眩しさのあまり閉じていた瞼を開くと、そこには僕より幼い少年が顔を顰め座っていた。

「おお……! 貴方が我らの主! こんなにも幼い体(てい)でありながら、立派なものです!」

 僕は感激の言葉を目の前の主へと贈る。しかし、彼は表情を変えることなくこちらを見続けている。どうやらあちらには僕の声は届いていないようだ。

「……まあ、僕らと主は違う世界に住んでいるのだから、聞こえなくて当然か」

 僕らを導く主はこの世界には存在しない。伝わる話では僕らの住まう世界とはまた別の世界、俗に言う外界と言われる所から導いているとの事だ。人々はその存在を神と崇めているのである。

「……うん。設定も終わったし、ゲームスタートするか」

 彼のその言葉とともに僕の取り巻いていた白い世界が切り替わり、石畳の様な一面に視界が変わった。それと同時に僕の目の前に四角い枠が現れる。どうやらここに僕の名前が発表されるようだ。

「新しくゲームを始めるに当たり主人公の名前を入力……か」

「おお、主よ! 早速この私めに名前を与えて下さるのですか! 有難き幸せ!」

 まだ名前を与えられていないにも関わらず喜びが先行する。目の前に座っている主は首を傾けながら何やら考えに耽(ふけ)っている。そこまで悩んで名前を考えているとは、頼もしい限りだ。

「なんだよ、デフォルトの名前がないのか……こんな時はさっさと片付けるに限る! それそれそれ」

 その言葉とともに連続した文字が埋まっていく。四角い枠いっぱいに埋まる同じ文字の群。それを見た僕は思わず額から汗が吹き出し、顔一面を濡らしていく。

「あ……主よ! まさか、そのような名前が私の――」

「よし、決定!」

 四角い枠に収められた文字、そこに記されていたのは――

 

「あああああ……!? あ、主よ! 正気なのですか!」

 

 枠に収められた文字を見つめながら呆然と立ち尽くす。羅列され連続した同じ文字が五つ。これが、主から僕に贈られた名前らしい。

「あ……あんまりです! いくら主といえども、このような名前は否定させて頂きたい!」

 そんな僕の叫びなど主の耳には届くことなく、風景は忙しく変化していく。どうやら、先程の名前で僕の名前は確定してしまったようだ。

「ああ、あまりにも無慈悲だ……。人の名前というのは重く尊い物であるというのに……!」

 そんなやり場のない憤りを吐露していく。

「……。いや、もしかしたらこれは主からの試練なのかもしれない! だから、今はこのような変わった名前を下さったのだろう! そうだ、僕が活躍さえすればきっと素敵な名前を与えてくれるに違いない!」

 自暴自棄にも思える考えを自らの心に刻み込み立ち上がる。だが、今のように自暴自棄にならなくては己の平衡を保っていられなくなりそうだったからだ。

「ようし、一通りの設定が終わった。本編に突入だ!」

 彼の興奮したような声とともに再び辺り一面が白色に輝き出す。そして、それと同時に意識が遠のいていくような感覚が僕の身体を包み込む。

「主よ……いよいよなのですね……! 貴方の采配、心より歓迎いたします……!」

 眠りに就く時のような意識の喪失が強くなっていく。僕たちが住む世界を導いてくれる外界の神と呼ばれる人物。彼の導く道にどの様な運命が待ち受けているのか、心の中は喜びに満ち溢れていた。素直に受入れられない名前を胸に、僕は未だ見ぬ運命が待つ世界へと旅立ったのだった。

 

 *

 

「……うん?」

 目を開けると、僕の目の前には青々とした草むらが風になびいてか細い身体を揺らしていた。気怠く重い瞼をこじ開けると、王都から少し離れた場所に存在する小さな丘にいるのだと認識することが出来た。どうやら僕は心地良い風の吹くこの丘でうたた寝していたようだ。

「……眠っていたのか。なんだか、物凄い夢を見ていたような気がする」

 夢の中で僕を取り巻いていた光景とは突然辺りが白く輝き、僕の身体は宙に浮いていた。そしてどこからか聞こえてくる響きが強い声。昔から聞こえていたこの声は僕の父親、オーラルドにも聞こえていた物だという。

 僕の父は騎士団に所属していた騎士であった。父は誇り高い騎士であったと同時に神の声が聞こえる騎士であった。父はその神の声を頼りに数多い戦いを切り抜け大変な功績を残したという。僕が幼い頃に突然聞こえてきた見ず知らずの声に怯えていた所を父に相談し、僕には父と同じような力を秘めていることを知った。そこから僕と父の鍛錬の日々が始まったと言っても過言ではない。

 しかし、僕をここまで育ててくれた父はもう居ない。その理由は、今もなお戦いが続いている「聖戦」と言われる戦いで命を落としたからだ。この聖戦は、さらなる繁栄を望む人類と、この地に古くから住みあらゆる知識をもつと言われている賢竜・アッハゲルドとの争いがもたらした物だ。聖戦は僕が幼い頃から始まり、十七になった今でも戦いが続いている。

「父さん……」

 父の遺品で、彼が生前から大切にしていた剣を鞘越しに握り締め瞼を閉じる。こうしていると、今でも父の声が聞こえてくるようだ。

 

「十七になった僕も、こうして僕もアッハゲルドと決着を付けるために旅に出る。これで良かったんだよね、父さん」

 今は亡き父に問いかける。すると、その言葉に返答するように風が僕の側を駆け抜けていく。その風はまるで父が僕に応えを囁いているようだった。

「……ま! ……様ー!」

 風が吹き抜ける向こうから何者かがこちらへと駆け寄ってくる。その姿は徐々に姿を大きくし、やがてぼんやりとした姿ははっきりしたものへと変化していく。はっきり見えてきた姿を確認すると、どうやらこの国「ガハルト王国」の騎士の馬に跨っている姿であった。

「ここに居られましたか、あああああ様!」

「え……ええ。すみません、紛らわしい所に居てしまって」

 僕の名前を誇らしげに呼ぶ騎士。どこと無く僕の名前を呼ばれると違和感を覚えてしまう。神である我が主は何故、このような名前に決めたのだろう。そんな思いが頭を駆け巡る。

「わはは! あああああって様で呼ばれると酷い名前だな!」

「……それをお決めになったのは貴方でしょう、主よ……」

 主の声に項垂れていると、騎士は心底不思議そうな面持ちで僕の顔を覗きこんできた。

「どうされました? もしや、お身体の具合が宜しくないのですか……?」

「い、いえ! お気になさらないでください」

 僕は慌てて取り繕う。腑に落ちない表情を浮かべながらも納得する騎士。彼が乗ってきた馬さえも不思議そうな瞳でこちらを見つめているような気がする。

「それで、僕に何か用があってきたのでしょう。……出発はそろそろですか」

「はい! 王の謁見の準備が整いましたのでお迎えに上がりました」

 彼はそう言うと僕に馬へ乗るように促す。こちらとしても異見はないので彼の支持に従い大きな身体をした馬に跨る。その後に続いて騎士も僕の前方に跨がり座り込む。

「では、出発いたします。しっかりとお掴まりくださいませ」

 彼のその言葉とともに馬は駆け出す。風のような軽快な足運びは、真っ直ぐに王都ステアズの中心部のガハルト城を目指したのだった。

 

 ◆

 

「では、扉を開きます。そのままでお待ちください」

 僕をここまで乗せてきてくれた騎士はそう言って謁見の間の扉の前に立つ。そのとなりには彼とはまた別の騎士が静かに佇んでいた。

「……いよいよだ。緊張するな……」

 軋む音を響かせながら重量感のある扉は静かに開いていく。大きな扉が開き切ると、扉の何十倍もの広さがある謁見の間が姿を表した。ふと周りを見渡すと、そこには上級の騎士と思われる人物が大勢並び、その奥にこの国を収める国王が着座していた。

「……入り給え」

 入口付近に待機していた国王の側近と思われる初老の男性が低い声で僕を中に入るように促す。僕はその声に従い静かに歩を進める。

「……」

 辺りを振り向いて眺めてはいけないので横目で周囲を伺う。そこには複雑な表情を浮かべた者や喜びの表情を浮かべた者など、彼らの表情は多種多様であった。

「神の預言を賜りし騎士、オーラルド・ツェデニアスの子、あああああ・ツェデニアスと申します。国王の命に従い、ここへ参上致しました」

 出入口から国王の座までの長い道のりの半分の所で膝を折り王に対して敬意を表し跪く。僕が名乗り終えると、国王は喜々とした声とともに立ち上がった。

「おお! 其方(そなた)があのオーラルドの子のあああああか! よくぞ参った! 父親と良く似て凛々しい顔をしておる。心より歓迎致すぞ!」

「ぷっ……どこで切ったらいいか分からない名前だぜ!」

 厳かな雰囲気に釣り合わない様な笑い声が僕の耳元に届く。その声に少々呆れながら神経を集中させ国王の言葉に耳を傾ける。

「して、あああああよ。先に通告してあるように其方には――」

 国王のその言葉を最後に声が途切れ、突然彼の仕草が倍の速さで流れていく。その様子を目の当たりにして戸惑う。

「なんか難しそうだし長い話になりそうだから……スキップ、スキップ」

「え……ちょっと! 折角の国王陛下の話が……! これではまるで内容が解りませんよ!」

 僕の訴えが叶うことはなく凄まじい速さで国王の表情が変わっていく。これから僕に下される命もこれでは確認をすることができない。

「――というわけだが、頼めるか、あああああよ……」

「えっ……あ……その……」

 僕が応えに詰まらせていると、主は深い考えも無しに僕に変わって答えを打ち出す。

「内容はよく分からんけど、オーケーっと」

「そうか! 良くぞ決心してくれた! 私は感激したぞ!」

「えっ! その……」

 国王の喜びの声とともに周りの上級騎士たちからも歓喜の声があがる。こうなってしまったら今更話をもう一度聞くことなど出来ない。僕は、いい加減な決断を下す主に少しばかりの怒りを覚えた。

「――陛下、少しお待ちください」

 突然上級騎士の一人から声があがる。その声のする方に視線を向けると、そこには見知った者の姿が目に飛び込んできた。

ヘラクレス様……!」

「彼は確かに神の預言を賜りし騎士、私の親友であったオーラルドの息子。彼の息子ゆえ何も心配することはありません。しかし」

 立っている場所から一歩前に出て自らの意見を述べる屈強そうで初老の男性。彼は僕の父の親友で幼いころから親交のある、この王国騎士一の実力者ヘラクレス・スティンベルである。

「しかし、何だ。不屈の騎士、ヘラクレスよ」

「些か、幼過ぎはしませぬか。確かにあああああは剣の腕も立ち勇敢な若者です。ですが我々と比べて実戦経験も浅い。聖戦の発端にして元凶の賢竜・アッハゲルドと戦うには危険ではありませんでしょうか」

 ヘラクレスは淡々と僕に対する懸念を述べていく。確かに彼の言うことは正しいのだ。僕はまだ十八になっていない為、この王国の騎士になるための許しを貰うことは出来ない。その為剣や格闘の稽古を多く熟(こな)してきても、実戦経験には結びつかずアッハゲルドとの戦いでも心許ない物となってしまうだろう。

「なんかさっきから禿頭のジジイがあれこれ言っててウザいなー」

「……禿頭……ふふっ……」

 唐突に飛び出た主の言葉に思わず吹き出す。するとその様子を見たヘラクレスは眉間に皺を寄せてこちらを睨みつけた。

「……なにか言うたか」

「め、滅相もございません!」

 緩んだ顔を隠すために俯きヘラクレスの問いに首を横に振って否定する。

「ふむ……やはり旧友の息子とあって心配か」

「……それも一面として心に在ります。しかし、私は一介の騎士として彼の身を案じているのです。幼いころより実力は心得ておりますが――」

「――だが、騎士としては見ず知らずの少年にこの王国の運命を任せてしまうのは、王国を収める騎士として面目が立たないという事かね?」

 国王は微笑みながらヘラクレスの言葉の後を続ける。その様子を見たヘラクレスは戸惑った表情を浮かべながら言葉を詰まらせる。

「ははは、良いのだヘラクレスよ。其方にも立場というものがあるでな、その辺りの事も考慮してある」

「考慮、と申しますと……?」

「うむ。私は国王とて人間の子。まだ騎士団に入らぬような少年を独りきりで賢竜の元へ行かせるのは些か抵抗がある。そこでだ、ヘラクレスよ」

 柔らかな表情を浮かべながら国王は口髭を触りながら言葉を続ける。

「其方もこのあああああと共に旅立ってはくれぬか。少し老いは目立つかも知れぬが、その面は其方の実力が賄ってくれるであろう」

「私が……!?」

 驚きの表情を隠せないヘラクレスヘラクレスは豪快痛快の限りの性格で物怖じしない人物である。そんな彼の表情を見るのは初めてであった。

「えー! こんなジジイが仲間になるのかよ! もっと綺麗な姉ちゃんがいいな!」

「……。主よ、お言葉を慎みください……」

 またしても主の声が耳元に響き届く。その声に再び吹きだそうになるが、腹の底から笑い出る思いを何とか堪えてヘラクレスたちの会話を聞き入る。

「……宜しいのでしょうか」

「なに、心配はいらぬ。其方が不在の間は、其方が手塩にかけて育てた優秀な騎士たちが居るではないか。こちら側の事は心配せんでも良い」

「……。国王陛下の御意のままに」

「うむ、良くぞ言うてくれたヘラクレスよ。では早速――」

「ジジイの話長いな。出発するのに時間が掛かりすぎだろ」

 再び国王の言葉は途切れ彼らの動きが倍の速さで動いていく。ここから先は僕にはあまり関係のない話題と思われる。そう考えると長い話に付き合うことなく済むと心の底から安堵したのだった。

 

 ◆

 

「では参りましょう、ヘラクレス様」

「うむ。行こうか」

 多くの騎士団の人間に王都の出入口の門まで見送りされる。彼らの行為に感謝し笑顔で応え僕たちはその場を後にした。

「こうして歩くのは久しぶりですね。何年ぶりでしょうか」

「時間が経つのは風が吹き抜けるが如く早い。その記憶も遠の昔だな。……エルザもあの頃は生意気を言わず素直な子であったが……」

「ん? エルザって誰だ?」

 ヘラクレスの言葉の後に主の声が続く。ヘラクレスの口から出たエルザという人物は、僕の幼馴染であり彼の一人娘のことである。最近は何かの勉学に励み姿を現さないので、彼女の近況は良く知らない。

「――さて、ここならば何も問題ないだろう」

「え……?」

 王都の出入口の門から旅立って暫くすると、ヘラクレスは足を止め立ち止まる。彼の顔を覗き見ると、彫り深い顔立ちに皺を作り険しい表情でこちらを見つめていた。

「あああああよ、俺はオーラルドの息子である君のことは良く知っているつもりだ。剣の腕も立ち物怖じしない勇敢な少年だよ、君は。だがな」

 ヘラクレスは左手に握られた大きな戦斧を握りしめながら言葉を続ける。

「君はまだ戦いというものを知らない。国王陛下が神の預言を賜りし騎士の子であるというだけで年端も行かぬ君を厳しい戦場に送り込むというのは、正直理解がし難かった」

「……」

「幾ら技術が優れていても知識があって秀でていても、一つの目的に結びつかなければ最終的な結果にそぐわないのだ。私はそれを懸念している」

 武人として、子を持つ一人の親としてヘラクレスは自らの心中を述べていく。この決定が下っても彼自身には腑に落ちないことだったのだろう。

「なんだよ、ジジイのヒガミか?」

 主の野次がこちらにも届くが、今の僕にはその言葉は耳に入らずすり抜けて行きヘラクレスの言葉を聞いていた。

「その懸念を払拭するために、今ここで君と剣を交えたい。それなりに戦えるならばそれで結構。もし無様な戦いをするのであれば大人しくこの旅から退いてもらう」

「……!」

「マジかよ! 最初の相手がジジイとは随分だな」

「さあ、剣を抜けあああああよ! 君の力がどれ程の物になったか見せてもらおう!」

 そう言ってヘラクレスは戦斧を構え戦う体勢に入る。彼の身体全体から滲み出る闘志は偽りのない迫力があるものであった。

ヘラクレス様……やるしか無いのか……!」

 戦う姿勢を見せる彼に倣って、自らの剣の柄を握り鞘から剣身を抜き出す。剣先を目の前に居るヘラクレスの方へと向ける。

 僕とヘラクレスの間に先程の丘で感じたそよ風が吹き抜けていく。風たちは互いのマントを煽ってすり抜ける。次第に吹く風が弱まりあちらの息遣いが鮮明になってくるような感覚がした。そして完全に風が吹き止んだその時、僕らの戦いの火蓋は切って落とされた。

「ぬうううううん!」

 始めに動いたのはヘラクレスだった。かなりの重量がありそうな戦斧を軽々と持ち上げこちらに向かって滑るように間合いを詰めていく。間合いを見切ったヘラクレスは握った戦斧を振り上げこちらへと振り下ろす。その様子を見た僕の身体は自然と剣を操り、剣身を戦斧の刃の対角線上に滑り込ませ刃を弾き彼の後方へ回りこむ。

「力任せじゃ攻撃は当たらんぜ!」

「しかし、あの攻撃をまともに喰らえば一溜りもありません! 主よ力を与えください……」

 そんな僕の声が通じたのか、主の命が僕の耳元へ届く。その言葉を聞き身体は自然と次の戦う姿勢を形成していく。

「――はあっ!」

 顔をこちらに向けたヘラクレスはすぐさま自身の身体を翻し、戦斧を構える。彼は恐らく剣を振り翳すと見込んで戦斧を真っ直ぐに構え振り上げる体勢に入っている。

 しかし、こちらの考えは彼の考えとは違い剣を胸中に収め身体を小さくし、獲物を狙う虎のように刃を敵に向け突進するのだった。

「むっ!?」

 半分まで振り上げた戦斧を止め、見当違いだった行動を取り止める。彼がその行動を完了させる頃には、僕は既に彼の目前まで踏み込んでいた。

「うっ!?」

「……ふん、甘いわ……!」

 ヘラクレスの懐に飛び込み剣先を彼の鳩尾(みぞおち)へと叩きこむ。しかし、その攻撃は彼の握る戦斧の長い柄に僕の剣身は捕らえられ引きこまれてしまった。

「――ぬんっ!」

 力を込めたヘラクレスの雄叫びとともに僕は剣を握ったまま呆気無く弾き飛ばされ地面に叩き付けられた。体制を立て直そうと顔を上げる。するとそこには戦斧を振り上げ今にもこちらに振り下ろそうとしているヘラクレスの姿があった。

「……っ!」

「やばい! ここは丁度ゲージが溜まった特殊技を出すしかない!」

 少し慌てた主の声共に、脳裏に僕が行うべき行動が残像となって目の前を遮る。

「……! これは……!」

 一瞬目の前を通り過ぎた残像であったが、僕の目はその残像たちを捕らえ行動をするべく二本の脚は俊敏に動き出す。

「なに……――!」

 ――鈍い音と共に戦斧は地面に叩き付けられ刃は土を割りめり込んだ。主の声を聞いた僕は間一髪の所で襲いかかる刃を避ける事に成功したのだった。

「おお……地味な技だけど使えるなコレ……」

「ぬうう……小癪な――」

 

「こらーっ! やめなさーい!」

 

 悔しさを滲ませるヘラクレスを尻目に遠くから怒号にも似た叫びが聞こえてくる。その声はどこか聞き覚えのあるものだった。

「なっ……なん……ぐわっ!」

 ヘラクレスが顔を上げた途端、声がした方角と同じ所から何かが飛んできたのを確認した。飛んできたそれはヘラクレスの頭部に直撃し、彼は痛みのあまりその場に蹲った。

「い……一体何が……?」

 そう思い周囲を見渡す。すると、そこにはヘラクレスの頭部に直撃したと思われる一冊の辞書のようなものが転がっていた。

「これは……魔術書……?」

 拾い上げ本の題名を口にする。本を拾い上げ題名を読み上げたその時、遠くから聞こえてきた声は僕の直ぐ側から再び聞こえてきた。

 

「父さん! こんな所で何をしているのよ!」

 

 その声を追って背後を見る。すると――

「ぬっ!? エルザ! 何故お前がここに居るのだ!?」

「あら、何故とは随分ね。もしや父さん、本当に何も知らされていなかったの?」

 少女は表情に呆れを滲ませながらヘラクレスの前に仁王立ちする。ヘラクレスと同じルビー色の瞳にバランスの取れた小顔。そして三つ編みと亜麻色の髪の毛が印象的な少女。彼女は――

「エル……ザ……!?」

「うおっ! 可愛いじゃねえかよ!」

 先程の話にも出ていたヘラクレスの実の娘で僕の幼馴染のエルザ・スティンベルがそこに居たのだった。

 「あっ……あああああ! 久しぶりね!」

「あ……ああ、久しぶり……」

「やけに「あ」が多い会話だな。この名前にして失敗だったかな?」

 主から今更そのようなことを言われてもどうしようもない。その憤りも胸にしまい込み叫ぶことを抑えた。

「こんなに背が大きくなっちゃって! あの頃はみんなからチビチビ言われていたのにね」

「……それ、未だに引きずっているから言わないでくれよ……」

 久しぶりに会う幼馴染との会話に華が咲く。昔と比べ随分と大人びた彼女の顔を見ると昔の面影を残していて懐かしさが蘇る。エルザと話をしていると蚊帳の外にされていたヘラクレスが咳払いとともに僕たちの会話に割入ってきた。

「……呑気に同窓会をするのは構わんが、今は後にしてもらおうか。……してエルザよ」

 険しい表情を崩さないヘラクレス。彼とエルザの間には何らかの問題が生じているようだった。

「まだ答えを聞いていないぞ。何故ここに居るのだ?」

「何故? それは簡単よ、父さん。……これを見れば一目瞭然でしょう?」

 エルザはそう言ってヘラクレスの前に一枚の紙を突き出す。ヘラクレスは突き出された紙を受け取り目を通していく。そして文を追っていくごとに彼の顔色は赤くなっていった。

「なっ……なんだこれは! こんなこと一つも聞いていないぞ!」

「だから、父さんが聞いていないだけでしょう。恐らくガハルト城で知らないのは父さんだけよ」

 興奮気味に手渡された文書をエルザの前に突き出すヘラクレス。僕はそれを見てエルザが持ってきた文書に目を通す。そこには――

「……ヘラクレス・スティンベル並びにエルザ・スティンベルの両者は、聖戦に臨む勇者・あああああ・ツェデニアスの護衛に就くことを命ずる……!? エルザも招集されていたのかい!?」

「そうよ。聞けば父さんったら文書など面倒臭くて見る気にもなれん! とか言って見なかったんでしょう。相変わらず情報収集に疎いわね」

「やかましいわ! それが実の父親に対する言葉か!」

「自業自得じゃないの! 父さんに叱られる筋合いなんて無いわ!」

 親子揃って論争を始める。二人のその様子を見ていると血の繋がった親子だと改めて感じさせてくれる。

「そもそもお前は戦う術など持っていないだろう!」

「戦いに必要なのは武力だなんて未だに思っているのは父さんのような古臭い人だけよ! 仕事ばかりで娘のことなんて何も知らないくせに!」

 そう言ってエルザは地面に転がっている辞書を拾い上げヘラクレスの顔面へ投げつける。それによってヘラクレスの怒号が止み彼らの争いに終止符が打たれたのだった。

「気の強い姉ちゃんだ……怒らせたら怖いな」

「エ……エルザ、ヘラクレス様! 喧嘩はその辺にしてください……」

 こちらの抑制を聞いた二人は睨み合いながらも口論を取り止める。

「でもエルザ、ヘラクレス様の言う通りだよ。君は昔から活発的だったけど……武術を習ったという話話も聞いたことはないし……一体どうやって……」

 そう言葉を紡いでいくと。その続きはエルザの行動によって掻き消される。彼女の行動を目で追うと、彼女は手に魔術書と杖を持ち上げてこちらに見せている。

「私にはこれがあるから、何の心配も無いわ!」

「魔術書……エルザが持っていたからもしやと思ったけど、魔術を扱う事が出来るのかい?」

「うん。十歳の頃からだから今年で七年になったかしら。魔術と言っても治癒魔術が専門なんだけどね」

 エルザは手にしている魔導書を抱きしめながら自分自身の事を述べる。暫く彼女の姿を見なかったのはそれが理由だったのだろう。僕たちの見えない所で努力をしていたようだ。

「二人とも回復させる手立てが無いから、健康のお目付け役ってことで今回派遣されたの。国王陛下のお墨付きだから安心して!」

「とはいえ……」

 自らの娘の言葉を聞いても納得した表情を見せないヘラクレス。渋る父親の様子を見てエルザはそれにと言葉を続ける。

「父さんは最近地方遠征に行ったでしょう? 確かデオリック市近郊、デアン地区の……湖が綺麗な所だったわね」

「……一般市民であるお前が何故騎士団の事情を知っているのだ? やけに的確な場所を言っているが――」

 するとヘラクレスは何かを察したようで、目を丸くしエルザの方を見つめた。

「あの時、前に騎士団が進んでその後ろに魔導師隊が居たでしょう。その中に二人白い魔導服を身に付けた人が居たはず。私はその一人として同行したのよ。今回のために長距離の移動に慣れておけって言うことで」

「……。エルザと同じような雰囲気の娘が居ると思っていたが……まさか……」

 突然の告白に父・ヘラクレスは呆然と立ち尽くす。我が子が軍隊に、よもや自らと同じ隊に居たということに気付かなかった事にただただ、驚いているようだった。

「遠征時に竜の僕(しもべ)たちによって受けた怪我も癒えて滞り無く遠征が全うできたでしょ? だから今回も役に立つはずよ」

「……しかし、今回はあの時のような短い戦闘ばかりでは無いのだぞ……」

「本当にあれこれ言うジジイだな。連れて行ってやったらいいのに」

「……ヘラクレス様、お言葉を挟むようですが」

 出渋るヘラクレスに言葉を挟む。すると彼は浮かない表情を浮かべこちらを向いた。

「確かにこの旅は簡単に済むものでは無いでしょう。ですが、エルザを連れて行く意味は十分にあると思います。戦いで傷を負い癒えぬ内に戦いを続け満身創痍になるよりも、術で癒しをもたらす彼女の力は僕たちには必要だと思います。ですからどうか、エルザを連れて行く事を認めてください。僕からも、お願い申し上げます」

 頭を下げヘラクレスに許しを請う。ヘラクレスは僕の行いに心を動かされたのか、悩み唸りながらも僕の願いに肯定という形で返答したのだった。

「さっすが、あああああ! 話が分かるじゃない!」

 エルザはそう言って機嫌良さそうに僕の腕にしがみつく。エルザが腕にしがみつくと彼女の髪先から甘い香りが鼻腔を擽った。

「だけどエルザ、ヘラクレス様も言うように無茶をしてはいけないよ。両親に心配をかけるのは一番の親不孝だからね」

「……。うん、分かってる! ……へへ、あああああも大人らしい事を言うね」

「ああ、そういうイチャつきは要らねえから! スキップ!」

 主はそう言ってこの場面の時間を速める。正直な所、もう少しこうしていたい気持ちもあるのだが……。外界に話が伝わることはなく、ただ残念な気持ちを抱いて早められていく風景を眺めるしか無いのであった。

 

 *

 

「……ということで、此処から先は僕ら三人で行きましょう」

「了解よ! どんどん行きましょう!」

「不本意だが仕方ない。手のかかる娘が増えてしまったが、戦いに支障はないだろう」

 僕の提示した意見に各々の言い分とともに彼らは賛成した。そして僕は、この三人で竜の居場所へ向かう前に話が主の声を聞かせるために主と彼らを伝心するように持ちかけた。その理由はもちろん、味方全員にも正しい導きを授かってもらうためだ。

「なんと、外界に居られる神の声が聞こえるというのか!」

「それはなかなか無い機会ね。どうすればいいの?」

「こちらからは問いかけることは出来ませんが、主の声を聞くことが出来ます。……では二人とも、手を出してください」

 僕の差し出した手に二人は躊躇することなく重ね合わせる。そして目を閉じ意識を集中させ彼らに主の言葉が聞こえるように、主の姿が見えるように念じた。

「……むっ? おお……!」

「す……すごい、本当に見える!」

 意識の集中を終えると、二人からは驚嘆の声があがる。

「こちらの声が聞こえていないというのが残念だが……有り難い! しかし、随分と幼い姿をしていらっしゃるのだな」

「本当……おまけに生意気そうな顔をしてるわね。……スケベそうな感じだわ」

 エルザはそう言って眉に皺を作る。思ったことを直ぐに口にする彼女の声が主に聞こえていないのは救いだと心から思う。

「あはは……でも彼の采配は確かなものです。先程のヘラクレス様との戦いで紙一重の差で回避ができたのも主のお陰です」

「なるほど……この長い旅路では本当に助かる存在だ……!」

「確かに頼りになるわ。……でも、ここからどうしたらいいの?」

 仲間が揃った問題が解決し新たな問題が我々の前に立ちはだかる。正直な所、僕もこの先のことは不明瞭だ。ただ、頭の片隅にこの国にある聖地を巡り戦うための力を授からなければならないということだけは分かっていた。

「ふむ。そのことに関してだが……書によれば竜の力は我々人間の力だけではどうにもならんらしい」

「ええ!? それじゃあ意味が無いじゃないの! どうするのよ父さん!」

「人の話は最後まで聞かんか! 早とちりはお前の悪い癖だな……。それでだ、この旅は賢竜を討伐することが目的ではない。あくまで賢竜と和睦を結ぶことだ」

 ヘラクレスは腕を組みながら彼自身の知識をこちらに分け与える。

「賢竜も何か目的があってこのような戦いを起こしたのだろう。原因のない事柄など存在しないのだからな。それにあらゆる事柄を知っている竜だ、彼を殺めてしまった所で何も解決はしない。寧ろ我々は神の罰を受けることになってしまうだろう。その為に我々は少しでも賢竜に太刀打ち出来るよう、東西南北に存在する寺院を訪れ寺院の奥地に存在する聖域に眠る力を給うのだ」

「良く知ってんなジジイ。長い話をベラベラと、知識を詰め込みすぎたからそんな禿頭になっちまったんじゃねえのか?」

 主の突然の言葉にヘラクレスは敏感に反応する。彼の表情を伺うと顔を真っ赤にして怒りに震えていた。

「なんだと……! あ、主とはいえ看過できん! 禿頭とはなんだ! なりたくてなった訳ではないのだぞ!」

「あははっ! は、禿頭だって! これは傑作ね!」

「……ヘラクレス様……怒りをお鎮め……くくっ」

「くっ! お前たちも笑うんじゃない!」

 頭の頂まで赤く染め怒るヘラクレス。これから起こりうる出来事を考えると少しだけ頭が痛くなる気持ちになるが、今だけはその様子に僕とエルザは腹を抱えて笑うしか無いのだった。

 

 *

 

 王都ステアズを旅立ってから長い時間が過ぎた。僕たちはヘラクレスが持参してきた羅針盤を頼りに最初の目的地、王都ステアズから最も近い位置に存在している東の寺院に向かって足を運んでいた。その東の寺院に向かう最中にこちらの行く手を拒む敵、竜の僕が次々と襲いかかってきた。この聖戦を巻き起こした賢竜・アッハゲルドの元へ向かうとあって、手下たちも血眼になってこちらの行く手を阻んでいた。

 竜の僕とは言っても彼らは賢竜と同じような身体の大きな飛竜の姿をした重飛竜も居れば小さな身体の軽飛竜、そして大きな角を持った角(かく)竜(りゅう)や羽根が無く大きな体躯を持った大竜(たいりゅう)など種類は様々であり、ヘラクレスの話では彼らは全て賢竜の手下であり子どもで同時に聖戦の兵士であるというのだ。

 僕らはその賢竜の手下たちと今まさに戦いが繰り広げられている最中なのであった。

「――でぇぇぇいっ!」

 自ら剣を振り上げ目の前に居る大竜に目掛けて剣を振り下ろす。硬い皮膚で覆われた大竜の鱗はその一撃で砕け、彼の肉体を引き裂いていった。すると大竜は痛みのあまりのたうち回り悲鳴を上げる。その様子に僕は剣を構えあちらの行動を伺う。すると一匹の大竜は身体を庇うようにして草むらの彼方へと消えていった。

「……よし、これで他に竜は居ないようだな」

「ああ、こちらも何も居ない。向こうにこの森の出口が見えるな、今の内にそちらへ行こう」

「よしよし、順調にレベルが上がってるな。意外とヌルゲーなのか?」

 暗く陽が閉ざされた森の道の奥に光が差し込んでいる所がこちらから見える。どうやらあの光が差し込んでいる所がこの森の出口なのだろう。僕らは期待しながらその光のある方へと歩を進めた。

「それにしても、一日掛けて森を練り歩くなんて滅多にない話よね。森の中はジメジメして嫌な感じ」

「仕方ないさ。そういう土地柄なのだから。それにここを通らないと東の寺院には辿り着かないからね」

「そうだけど……約二日間もお風呂に入れないなんて気持ち悪いわ、野宿だと安心して眠れないし……」

 元気のない声を聞いてエルザの顔を伺う。彼女はうんざりとした表情とともに目元に隈を作っていた。身体の作りが違う我々と違って彼女の疲労は明白だった。

「この世界にも風呂はあるんだな。……エルザたんの入浴シーン早う!」

「……こっちはこっちで最低最悪の主よね。まるで盛っている猿だわ」

「……気持ちは分かるけど、慎もう……」

 この森で戦闘を続けていると戦いを指示する主の声とは別に野次や落胆の声が目立って聞こえてくる。特にエルザに対しては嫌がらせにも思える発言が多々あり、エルザはその理由もあって疲労を溜め込んでいるようだった。

「裸の一つや二つ見られてもどうということはないだろう。そのような粗末な身体をしているくせに何を躊躇っているのだ?」

「そま……!? 父さん! それはどういう意味よ! これだから父さんは母さんにもデリカシーが無いって言われるのよ!」

 毎日のように繰り広げられるスティンベル親子の口喧嘩が森の中に響き渡る。似た性格同士、衝突することもあるだろうがそれにしては回数が多すぎる。一方のヘラクレスは嫌そうな表情をせずエルザをあしらっている。これは信頼があるから出来るものなのだろうと、自らの胸の中で納得した。

「……何頷いてるのよ……」

「……。いや、別に……」

「何よ、別にって! どうせあああああも私は粗末な女だって思ったんでしょう! あーやだやだ! 男って生物は本当にもう!」

 顔を真っ赤にして必死に反論する様子を見ていると父ヘラクレスとそっくりで思わず噴出す。すると彼女は妙な面持ちでこちらを睨みつけたのであった。

「さあ、出口だ」

 繰り広げられている口喧嘩に終止符を打つようにヘラクレスは森の出口から外の風景を眺める。僕らも彼の行動に倣って出口から見える外の風景を臨んだ。

「……本当に近道なのね、父さん」

「うむ。こうも近くに存在しているとは思わなかったがな」

 僕らが眩しい光の先に見えてきたもの、それは青々とした葉が揺らめいている山と人工的に造られたであろう建造物であった。

「これが……東の寺院……ここから見ても厳かな雰囲気を醸し出していますね」

「ああ……伊達に聖域と言われてはいないな。町からも大分離れているから人もそうは近付かぬだろう」

「随分あっさりと来たもんだぜ。でもすんなり行く気がしないな」

 そんな自信の無さそうな主の声が聞こえてくる。神と言われる存在でも不安な色を隠し切れない。その事を考えると尚更気を引き締めていかなければならないと思い直したのだった。

「あそこが入り口なのかしら」

 エルザはそう言ってある方角を指差す。彼女の指を差した方角には石造りの寺院の入口らしき門がそびえ立っている。

「そのようだな。……よし、行ってみよう」

 ヘラクレスの言葉とともに僕らはエルザの指し示した方角へ歩を進める。寺院までの道のりは何ら変哲もない平原だった。草が一面に敷かれ、人が出入りしないためか他所の雑草よりも背丈が高く形も疎らだった。

 歩を詰めると徐々に寺院の細かな様子が見て取れるようになる。入り口の石造りには草の弦が絡まり表面には苔がこびり付き、悠久の時間がこの石たちを侵食していたことが感じて取れた。

「……なんて、冷たい空気が流れているの……。まるで人の気配がないわ」

 入り口に立ち中の様子を窺う。綺麗に整形された石の塊は僅かな光りさえも通さず、寺院の中は仄暗い黒色で充満していた。隙間もないはずの内部からは不思議と風が吹き湿った空気をこちらへとぶつける。その空気はどこか冷たく一切の暖かみを感じることは出来なかった。

「人の気配どころか生き物の息吹さえ聞こえてこないよ……」

「ここまで人気が無いのも珍しい。……そして馬鹿に静かだ」

 ヘラクレスの言う通り、今までに体験したことのない静けさが我々を取り巻く。少しでも脚を動かすと地面に転がっている小石が靴底の間で擦れ、普段なら気付かない音さえも耳元へ響く。

「装備は大丈夫みたいだな。……行ってみよう」

 主はそう言ってこちらに寺院の奥へ進むように促す。僕らは意を決してその指示に従い歩み始める。次第に静かな光景に慣れ寺院の聖域に向かうことだけに集中する。

 けれども、静けさの中で響き渡る足音はおろかヘラクレスやエルザの緊張した息遣いさえ僕の耳を刺激して不安を煽るのであった。

 

 ◆

 

 予め用意しておいたランプに明かりを灯し細い道を進む。ランプの中の灯りは寺院の奥から吹き付ける風に揺れながら周りを柔らかく照らす。道の途中には幾つか分かれ道があったがどれも狭い部屋で気になる物はなく、この人気の無い寺院に住み着いた鼠が驚いて床を走り抜けているだけであった。

「見た感じから大きくない寺院だって分かっていたけど……それにしたって何も無いのね」

「宝探しに来たわけではあるまいし、そうそう人が使用していたものなど無いだろう。それにここは一度入ったら出られないという構造ではないしな」

「聖なる力を祀る為に建てられた建造物だから、何もなくても不思議ではないよ。……でも」

 この寺院に踏み入ってから薄々気づいたことを口にする。

「でも、森に居た竜の僕たちが急に居なくなった。何故か嫌な予感がするよ」

「そうだな……むっ?」

 僕の言葉に相槌を打ったヘラクレスの言葉が途切れる。その反応が気になり彼の方を向くと、ヘラクレスは前を向き一点だけを見つめていた。その目線を追うと、そこには目的の場所である聖域と思しき空間が見えたのだった。

「ここが……聖域……」

 ヘラクレスは辺りを見渡しながら驚いたような口調で呟く。聖域には石が積まれた土台とその周りに湧き水で囲まれており、土台の上には巨大な岩を彫って造られたと思われる台が佇んでいた。

「あそこに聖域に納められている力の源の宝玉があるのか……」

 するとヘラクレスは歩を早めその宝玉が納められている台へと近づく。

 それと同時に彼の驚いた声が聞こえ、状況を把握するために僕たちは駆け足でヘラクレスの元へ駆け寄った。

「何だ……これは……!?」

 今までに見たことのないような驚きの表情を浮かべるヘラクレス。彼の視線を追うと、台の上には石彫の台の姿のみで、その他には何も無かったのだった。

「ここにあるはずの宝玉がない……! 何故だ!」

「……何者かが故意的に宝玉を抉(えぐ)り取ったようですね……それに傷が新しい……誰がこんな事を……?」

 突然の事態に僕たちは呆然と立ち尽くす。何者かによって奪われた台を眺めていると、エルザから突然小さな悲鳴があがった。

「どうしたんだいエルザ!?」

「……。誰かが、ここに居る……!」

「馬鹿な、ここへは我々しか――」

 ヘラクレスがそう言って顔を上げた途端、僕らがやって来た道から足音らしき音が一定のリズムを刻みながら音を大きくしていく。その音の主はこちらをあざ笑うように声をこちらに手向け、そして――

 

「――なあに? これを嗅ぎつけまわっていたワンちゃんたちはひ弱そうな三人組だったの?」

 

 来た道から声とともに何者かが現れ、姿を明瞭にしていく。現れた人物は、薄色の髪と宝石のように輝く琥珀の瞳を持ち、僕やエルザと同い年位の少女であった。

「うひょ! めちゃくちゃかわいい姉ちゃんだぜ! 目のやり場に困る格好をしてる!」

「……少し黙ってなさいよエロ猿……!」

 この状況においても主の言葉に噛み付くエルザ。それに関係なく現れた少女はこちらへ詰め寄ってくる。

「うん!? それは……ここに納められていた宝玉ではないか!」

「なんですって!? あれが……?」

「あら、これの事を知っているの? 随分と物知りなおじ様ですこと」

 少女はそう言うと手に持っている宝玉を高々と上げこちらに見せびらかしている。

「……君の仕業なのかい? その宝玉を抜き取ったのは」

「君って呼び方は好きではないからやめてくださらない? 私はイルムヒルデ。 イルムと呼んで頂戴な」

「うおおおお! イルムちゃーん!」

 イルムヒルデと名乗る少女は不敵な笑みを浮かべてこちらに挨拶をする。その様子に主は興奮気味に彼女の愛称を叫んでいる。

「それで何をするつもりなのだ……!」

「まあまあ、そんな怖い顔をして。何をするって、簡単なことよ?」

 そう言うとイルムヒルデは掲げた宝玉を揺らし、次の瞬間宝玉を持つ手を緩め宝玉を手放したのだった。

「なっ――」

 

 そう声を出した時にはもう遅かった。彼女の手からこぼれ落ちた宝玉は重力によって地面に吸い寄せられ石造りの地面へと激突し、宝玉の身体は粉々に砕け散ってしまったのだった……!

 

「なっ……何て事を!」

 変わり果てた宝玉の姿を見てヘラクレスは絶叫する。僕はその場に立ち尽くしエルザと主からは驚きの声が響き渡る。

「あらあら、容易く壊れてしまったわね。聖なる宝玉といえども、単なる物体にしか過ぎないということね」

 慌てる僕たちを尻目にイルムヒルデは高笑いをする。その様子を見たヘラクレスとエルザは目の色を変えてイルムヒルデを睨みつける。

「き……貴様ッ!」

 ヘラクレスは戦斧を握り直しその場に立ち上がる。その次の動作に彼は木の枝のように細いイルムヒルデに向かって戦斧を振り下ろした。

「おいジジイ! やばいって! フラグ立つぞ!」

 主からの驚きの声を聞かずにヘラクレスは猛進していく。イルムヒルデはその様子を見てもなお動じた様子を見せない。それどころか余裕の表情を浮かべているではないか。

「ぬうあああああッ!」

「……ふうん、賢そうな印象だったけれど、それは単なる見掛け倒しだったのね。幻滅しちゃった――」

 イルムヒルデがそう呟いた途端、彼女に向かってヘラクレスの戦斧は振り下ろされた。振り下ろした後も彼は微動だにせずイルムヒルデの側で佇んでいる。その様子に違和感を覚え彼らに近づく。すると、そこにはヘラクレスの荒い吐息と、戸惑った声が聞こえて来たのだった。

「な……なん……!」

「ふふふ、酷い顔ね! そんなに驚くことだったのかしら?」

 イルムヒルデの言葉を聞いてヘラクレスの戦斧の先を追う。するとそこには、凄まじい重量がありそうなヘラクレスの戦斧を人差し指一本で受け止めているイルムヒルデの姿を見ることが出来たのだった。

「な……何故だ! このようなか細い指に、俺の一撃が止められただと……!?」

「ダメージが0って、強すぎねえか!? バランスクラッシャーかよイルムちゃん!」

「そんな……! 父さんの一撃が……」

 驚きの光景に主を始めとする全員が、イルムヒルデを除く人間が絶句する。歴戦の戦士と言われてきたヘラクレスの一撃が止められたことは、絶望を予兆させるものであった。

「あははっ、可笑しな人たちだこと。齢四万と二百十一にして悠久の時間を過ごしてきたこのイルムヒルデに敵うと思って?」

 彼女はそう言うと指一本で止めたヘラクレスの戦斧を弾き飛ばして再び高笑いをする。弾き飛ばされたヘラクレスと彼の戦斧は地面に叩き付けられ、僕たちは倒れこむ彼の側へと駆け寄った。

「四万年……イルムヒルデ……。そうか、やはり貴様は……!」

 何かを思い出したようにヘラクレスは痛みに悶えながら言葉を呟く。

「おっ、ジジイが何か知ってるみたいだな」

「父さん……?」

「……。ガハルト王国が建国される遥か昔、この大陸で人類を含める全ての生物たちが自身の存亡を掛けて大きな争いが勃発した。あらゆる生物が戦い、最後まで生き残った種族は三種類おり、賢竜たち竜族と我々人類族。……そして」

「そして、私たちのような生物の成れの果て、魔族。所謂アクマという者たちね。人間たちはそう言った方が分かりやすいでしょう?」

 不敵な笑みを浮かべながらイルムヒルデは言葉を続ける。

「人類族が第一線から退いた後もそのアクマたちが最後まで竜族と戦っていた……その時に何万もの軍勢を率いて戦った筆頭……それが私、イルムヒルデ・リヒター・ド・ランジェニエール。残念ながら私たち魔族は竜族に一歩及ばず、地上から退いたのよ。そこから生き残った竜族と人類族が主として世界を統べる事となった。けれども竜族は山奥で密かに住むことを決め、地上は人間が暮らしましたとさ。めでたし、めでたし。……けれど、それで話が完結するのは人間や竜たちだけだわ」

「オープニングでこれについての話はあったけど、凄い話だな」

 イルムヒルデはガハルト王国を含める大陸全体の話を述べていく。しかし、彼女が言っている話は僕たちが生まれるはるか昔の話である。その事を昨日の出来事のように語る姿を見ると四万二百十一という時の流れを自称する事を納得せざるを得ないのであった。

「人間だけがのうのうと暮らしているなんて納得がいかないわ。……だから私たち魔族は一念発起して静かに暮らす竜族と手を組んで戦いを挑んだというわけなの。話を聞かないおバカさんには実力行使をってね」

「馬鹿な! 賢竜を筆頭とする竜族がそんな事を……!」

「しかし、現に我々は竜族と戦っている……あながち間違いでは無さそうですよ……」

 目を丸くしてヘラクレスは叫ぶ。だが我々人類は賢竜たち竜族と聖戦を繰り広げている。それは紛れもない事実であった。

「それで久しぶりに地上に出かけてみれば人間たちが戦いを終わらそうと頑張っているじゃない? 普段は無関心なのに自らの存命の危機になると躍起になるじゃない。……そこに私たちは腹ただしさを覚えた……」

 イルムヒルデはそう言いながら表情を曇らせ、凄味のある剣幕へと自らの表情を変えていった。

「愚か者はいつまで経っても愚かなまま。善悪の区別がつかぬまま時間が流れ、遂に審判の時が訪れる――」

 彼女がそう言い放った瞬間、辺りに今まで感じたことのない感覚が取り巻き僕たちからどよめきが起こる。

 そして、どうしたことだろう。イルムヒルデの背中から蝙蝠の様な翼が生え始めではないか! その様子はまさしく悪魔という存在そのものであった。

 

「――戦いの行く末に訪れるもの、それは始まりと終わり。有象無象を貪りつくした人間という真の悪魔に侵食する夜を……我らに真の始まりを……!」

 

 背中に下ろされたイルムヒルデの髪の毛が逆立ち、目に見えない彼女の念が恰(あたか)もそこに存在しているようであった。

「な……なんだこの力は……! 気だけで身体が動く……!」

「と……父さん、あああああ! 何とかして……!」

 まるで突風に身体を煽られているように僕たちの身体は後ろへと、何者かに引きずられているかのような力強い物を感じた。

「うわ……HP高いな……! ここはエルザたんの回復魔法を駆使して――」

 主の戦略を練る声を聞いた瞬間、僕の隣で悲鳴が同時にあがる。その声に気付き顔を声のする方へ向くと、イルムヒルデはヘラクレスに鉄拳を腹部に打ち込んでいたのだった。

「ふぐっ……あ……!」

「あはは! 無様ね、人間!」

 イルムヒルデは目を見開き歯茎を剥き出しにしながらヘラクレスに突進する。その表情を見た途端、急に脚が震えだす。これが古から生ける者の凄味なのだろうか。

「こ……このっ! よくも父さんを!」

 武器を持たぬエルザは、持っていた魔術書と魔法の杖を掲げてイルムヒルデ目掛け飛び掛かる。それを見たイルムヒルデは胸倉を掴んだままのヘラクレスを側にある湧き水が溜まっている外堀へと放り投げ、エルザと向き合い戦う姿勢を取る。外堀に溜まっている湧き水へ投げ落とされたヘラクレスから大量の水しぶきが飛び彼女たちの間を霞ませていく。

「丸腰の貴女に何が出来るというの? 愚かしい!」

「そんなの、やってみなくちゃ分からないわよ……!」

「とりあえずエルザたんも攻撃できるんだな。ジジイの抜けた穴を埋めなきゃな……」

 杖の細く尖った方をイルムヒルデへと向けながら攻撃を繰り出すエルザ。しかしその攻撃も虚しくイルムヒルデに簡単に避けられ彼女に隙を与える。その様子を見たイルムヒルデは素早くエルザの懐へ飛び込み、優勢な方へと持ち込もうと試みる。

「!」

「そう簡単には……やらせないわよ……!」

 エルザは懐に飛び込んできたイルムヒルデの攻撃に素早く対応し、彼女の腕を振り解く。そして、空いているもう片方の手には魔術書が握られイルムヒルデに目掛け振り下ろされる。だが、その行動を素早く見切ったイルムヒルデは身体を小さくたたみ離脱したのだった。

「――っ、そこだっ!」

 僕はイルムヒルデの小さな隙を見逃さず、鞘から剣を引き抜き彼女目掛けて飛び掛かる。それに気付いたイルムヒルデは目を丸くしてこちらを振り向く。

「くっ!」

「……へえ、なかなか威勢がいいじゃない? 可愛い顔立ちのお兄さん?」

 剣を握り振り上げた剣はイルムヒルデに下ろされることはなく、彼女の手が僕の腕を捕まえていた。

「うっ……てやっ!」

 イルムヒルデは僕の腕を握りしめており彼女の手を振り解くのは不可能だった。そこで僕は、力強く握られた手を振り切るのではなく捕まえられた腕をこちらに引き込み活路を見出そうと試みたのだった。

「……!」

 思いの外、体重の軽いイルムヒルデの身体は僕の腕力によって宙に浮き、彼女の身体は空を切って空気と共に漂う。それと同時に彼女の手から僕の腕は開放され自由に動かすことが出来るようになった。

「てやっ!」

 顔を上げて勢いある声のする方を向くと、エルザがイルムヒルデに向かって攻撃を仕掛けている所であった。エルザは真っ直ぐに相手に向き合い場を支配する。騎士団長の娘とだけあって体捌きは見事なものであった。

 

 ――しかし

 

「怖い子ね、そんな痛そうなものを振り回していたら男の子に好かれないわよ?」

「う……うるさい! 大人しく観念なさい!」

 イルムヒルデは伏せていた体勢を直ぐ様立て直すと、こちらもまたエルザの方を見つめ彼女の攻撃の一つひとつを捌いていく。

「うっ……!?」

「ほら、貴女にはあたしじゃなくてお兄さんの方がお似合いよ?」

 彼女はそう言うと力強くエルザの腕を掴み僕の方へと投げつける。その勢いに足元がふらついたエルザは自制を失い思わず僕の身体にもたれ掛かる。その様子に驚きエルザに注意が向いたと同時に前方から何かが持ち上がる音が聞こえてくる。音がする方角を目で追うと、そこにはヘラクレスの持ち物である巨大な戦斧を涼しい顔で持ち上げるイルムヒルデの姿が見えてきたのだった。

「随分と上等な戦斧じゃないの。これならあなたたちを纏めて仕留めることが出来そうね――」

 イルムヒルデがそう言葉を放った瞬間、同時に風を切る音が聞こえ微かにエルザの身体が動いたのだった。

「うっ……! うぐっ……!?」

 時が止まったように戦斧の刃は弧を描いて僕の目の前から消え去る。その残像が消滅して時間が再び流れ始めると、目の前には誘発されるように赤い霧が視界を染め上げたのだった。

「――! エルザ!?」

「ああ、少し浅かったかしら? 血潮の出方もいまいちだわね」

 エルザの物と思われる血液は空中を舞い、やがて僕の顔にこびり付いて赤い斑模様で汚していく。次の瞬間、エルザの顔から血の気が引いていき瞼を開けたまま僕の視界から退いていく。力を失った脚はまるで朽ち果て折れ曲がる老木のようであった。

「うお! エルザたんのHPがごっそり持って行かれた! 後1とか無理ゲーだろ!」

「エ……エルザッ――」

 状況を完全に理解した脳がエルザの安否を伺うように命令し、僕はその命令に従って身体を屈めようと試みる。だが、その行動は突然頬に引かれた赤い線によって拒まれた。

「その子を心配している場合かしら? あなたも直ぐにこうなるという事がまだ解っていないようね……?」

「くっ!」

 突き出された戦斧を間一髪という所で回避する。その状況に僕の脚は直ぐに体勢を取り直してイルムヒルデと間合いを取る。次第に詰め寄るイルムヒルデ。僕たちの間に緊張が走り呼吸する事さえ躊躇しそうな程であった。

「ふんっ!」

 イルムヒルデは戦斧を大振りして自らの身体を翻し一回転する。それと同時に彼女の下方から刃がこちらへ飛び掛ってくる。その飛び掛かる速さはヘラクレスの何倍もあろうかという程凄まじいものであった。

「スキル発動! 地味避け!」

 主の言葉とともに脚が動き出し、刃が僕の顔に食い込む寸前で腰から上半身を仰け反らせる。目の前で回避し目と鼻の先を戦斧の刃が通り過ぎて行く。それと同時に回避するのに出遅れた前髪の毛先が刃にさらわれ風圧で吹き飛ばされていった。

 上半身を仰け反らせて不安定になった身体を持ち直し、剣を構えイルムヒルデへと向ける。暫く睨み合いが続き足裏を滑らせながら機会を伺っていると、滑らせた足の踵(かかと)に何かがぶつかり足を止める。感触からして宝玉を納める石造りの台であろう。思った程僕らが立つ場所は広くない。だからこそ地面の面積も考慮してイルムヒルデと対峙しなくてはならないのだ。

「たあっ!」

 剣を振りかざし彼女から先制を取る。イルムヒルデは動じることなく僕の剣の描く軌跡を見つめ戦斧を構える。振り下ろされた剣は戦斧の柄に拒まれ、柄から鈍い衝撃がじわりじわりと伝わってくる。痺れる手を無理矢理に引っ張り再び体勢を取り直す。そして剣身の腹をこちらに向け、厚い鎧を纏った騎士に攻撃を加えるように切り込む。

 すると、鋭利に伸びる剣の刃を鷲掴みにするイルムヒルデの手が視界に入り僕は目を疑った。刃を強く握りしめた分だけ彼女の手に食い込み血が溢れ出す。一向に手放す気配のないイルムヒルデの顔を目で追うと、彼女は鋭い眼光でこちらを睨みつけていた。辺りが暗く僅かな光だけが差し込んでいるということもあって、彼女の顔が恐ろしくとても僕とエルザと同い年の少女とは思えない表情であった。

「……勇敢と蛮勇は違うのよ、お兄さん?」

 イルムヒルデがそう言葉を放った瞬間、僕の視界は一瞬縦に揺れ意識が飛ぶ。何が起こったのか分からぬまま脳は状況を把握するために躍起になり順を追って確認しようとする。そうこうしている内に今度は腹部に鈍い痛みが走り腹の底から思わず声が飛び出る。そして痛みの次に訪れたもの、それは衝撃と浮遊感であった。

「う……ぐっ!」

 弾き飛ばされた身体が何かに辺り後方から何かが崩れる音が聞こえてくる。だが今の僕には何が起きたのかを把握する事よりも腹部に走る痛みが支配し思考がままならないでいた。

「うう……い、急が――」

「―その痛みに悶える表情、素敵よ? もっと可愛い声で鳴いて頂戴な」

 突然目の前にイルムヒルデの顔が大きく映る。その表情はにやついて、どこか楽しそうな雰囲気を醸し出していた。

「ふふふ……アハハッ! 最高の夜を、あなたに……そして堕ちてゆけ!」

 本能を剥き出しにしたという言葉を体現するようにイルムヒルデは我を忘れた顔つきで戦斧を高く振りかざす。口は唾液で塗れ目は血走っている。そのような形振りにもかかわらず彼女は行動を止めない。まるで殺めることが快感であると思っているかのような姿だ。

「やべっ! やられ……ん!?」

 慌てふためく主の声が突然止む。そして振り上げられたはずの戦斧がいつまで経っても振り下ろされることはなく静かに時間は流れていく。その様子を不思議に思い、目を開けると――

「あ……ぐっ……!」

 

「……俺の相棒……ユルゲンに触るな……!」

 

 瞼を開いた先に見えてきたもの、それは全身を水で濡らしながらも大木のように太い腕を伸ばし自らの戦斧の柄を握りしめるヘラクレスであった。彼はイルムヒルデの握る戦斧の末尾を持ち上げ、彼女を宙吊り状態にしたのだった。

「物凄い馬鹿力ね……! どこからそんな――」

「馬鹿力で……結構だ!」

 ヘラクレスはイルムヒルデがぶら下がった戦斧を持ち上げたまま振り回し、回転の力を用いてイルムヒルデを聖域の外壁へと叩きつける。イルムヒルデは固い石で造られた外壁に身体を叩き付けられたが、上手く受け身を取り損害を最小限に纏め地面へと着地したのだった。

「……。やれやれ……やめた、やめた」

 イルムヒルデは衣服に纏わり付いた埃を払いながら困り顔で呟く。ふと顔を上げたイルムヒルデの表情を伺うと、先程の攻撃色を残しながらも諦めたような表情を浮かべていたのだった。

「流石に一対多は厳しいわね。危ない橋は渡るべからず」

 そう言葉を吐き捨てこちらに背を向けるイルムヒルデ。

「くっ、待たぬか!」

 ヘラクレスは憤りながらイルムヒルデの後を追う。だが彼女は逃げる素振りも無くこちらを首だけ振り向いて笑顔を見せただけであった。

「そんなに焦っては駄目よおじ様。ではまた会いましょう――」

 イルムヒルデがそう言った途端、彼女の姿は黒い霧に包まれ瞬く間に散り散りになって消えていった。

「……。何なのだ、あの娘は一体……」

「! エルザ!」

 突如としてこの場を去ったイルムヒルデに呆然と立ち尽くす。地面から這うような呻き声が聞こえ視線を下げると、そこには負傷したエルザが起き上がろうとしていたのだった。

「なっ!? エルザ!?」

 ヘラクレスは声を荒らげながらこちらへと駆け寄ってくる。立ち上がろうとするエルザの手を握ると冷たい肌の中に仄かに暖かさを感じ、失われないその温かさに安堵する。

「う……気を失ってたみたい――」

「なんという事だ! ああ、エルザよ! なんと変わり果てた姿に!」

 か細い声で言葉を紡いでいるエルザを尻目にヘラクレスは頭を抱えながら悲しみに暮れる。その様子は過剰に思えるほどであったが、本人は真剣なのだろう。

「……」

 地響きがする程の号泣に思わず耳を塞ぐ。ふとエルザの方を見ると顔を顰め辛そうな表情をしていた。すると、エルザが握りしめていた杖が光りだし彼女が負った傷が見る見るうちに癒え、傷が塞がっていく。そして彼女の顔色が良くなっていった。

「うおお! すまぬアウレリアよ! 父とは名ばかりでうだつが上がらぬこのヘラクレスを許し――」

「――どうして怪我人が苦しんでいるのに大声で叫ぶことが出来るのよ! 傷に障るじゃないの!」

 父にも負けぬ大声で怒鳴るエルザ。そして彼女は握りしめた杖を大きく振りかぶり、伏せた状態から目近にあるヘラクレスの脛へと勢い良く叩きつけた。その痛みにヘラクレスは悲鳴を上げ大人しくなった。

「わはは! ジジイとエルザたんのコンビは最高だな!」

「全く、実の父親だけとあって恥ずかしいわ……」

 蹲る父親と入れ替わって立ち上がるエルザ。彼女の表情はうんざりとしたもので染まっていた。

「エルザ……本当に大丈夫なのかい?」

 エルザの持っていた杖から放たれた光は恐らく回復魔法による物なのだろう。それによって彼女の傷は癒えただろう。しかし、僕の心の何処かで彼女の容態を気にして焦りが出始めていた。

「心配症ね、大丈夫よ! その為の治癒魔術だもの! ……こんな早い段階で自分自身にかけるとは思わなかったけどね……」

 様々な表情を見せるエルザを見ていると、幼いころのエルザの事を思い出す。彼女は昔から喜怒哀楽激しい娘で我の強い性格であった。それは父親譲りで今も変わらない。

「まあまあ……。何はともあれ、エルザが無事で安心したよ」

「……。う、うん……」

「……スキップ」

 珍しく落ち込んだ表情を見せるエルザの肩を掴み慰める。エルザは小さく頷いた後目線を逸らし俯いた。彼女の仕草が気になり顔を覗きこもうとしたその時、再び僕の目の前は倍の速さで時間が過ぎて行ったのだった。

「……。主よ、せめて幼馴染との会話を嗜ませてくださいませ……」

 心の内に潜む無念を、僕は聞こえているはずのない我が主に向けて呟いたのだった。

 

 

 東の寺院の事件から暫く経ち、イルムヒルデに先を越される前に僕たちは残り三つの内の一つ、南の寺院へと急いでいた。東の寺院から南の寺院までは二つの町を超えなければならない程の距離をひたすら歩き倒した。

 その道中、東の寺院に着くまでに遭遇した竜の僕たちに行く手を遮られ傷つきながらも戦いに明け暮れた。戦いで負った傷はエルザの治癒魔術によって癒され、戦い続けることができ、難なく目的の南の寺院が存在するイッカーナ市近郊へと到着したのだった。

 長い旅の途中で溜まった疲れを堪えながら、東の寺院と同じ造りの石造りの建物の中へと突入していったのだった。

「……やはり、ここもイルムヒルデに奪われてしまったようですね」

「ああ……。彼女がここまでして宝玉を破壊して回る理由は、俺たちのような邪魔者に力を分け与えない為なのだろうな」

「うう……もう駄目……!」

 僕とヘラクレスが抉り取られた後の台座を眺めながら呟いていると、後ろのほうからうんざりしたような声が聞こえその声とともに何かが倒れる音が聞こえてきたのだった。

「これエルザ! なんとだらし無い格好をしているのだ!」

「途中の町で休めばいいのに……なんで二人とも止まらないで歩き続けるのよ……! 足が棒になっちゃいそうだわ……」

 振り向くと、エルザは石が敷き詰められた台の床に身体を投げ出すようにして倒れこんでいた。大の字になって寝転ぶ姿は、彼女の疲労を体現しているようだった。

「そんな格好で寝てたらパンツ丸見えなんじゃねえの? 野郎二人が羨ましいぜ……」

「うるさいわね! 見たけりゃ見ればいいじゃないの! 見てもなんの得もないわよ!」

 倒れながらも主の声に怒鳴りつけるエルザ。疲れが溜まっていても彼の声には看過できないようだ。

「……エルザ、女性としての身だしなみは持つべきだと僕は思うな……。でもヘラクレス様、彼女がここまで疲弊しているのです、イッカーナの街で暫し休息を取りましょう。南の寺院の宝玉も破壊されているということは恐らく残り二つの寺院も同じでしょう……。疲れた身体を癒して、この先の事を考えねばなりませんね」

「……。それもそうだな。エルザもその様子では言うことを聞いてくれないだろうしな。全く、手のかかる娘になったものよ」

「……誰のせいかしらね!」

 怒りを含んだ声とともにエルザは徐に立ち上がる。そして僕たちは南の寺院から出るために来た道を戻るためにたった一つの道を三人並んで進むのであった。

 寺院の門をくぐり改めて空の様子を伺うと、そこには茜色に焼き付いた空がこちらを見下ろしていたのだった。

「……気が付けば、もう夕時なのですね。夕焼け空が美しいです」

「ああ。思えば、ずっと先を急いで歩き通してきたのだから周りの風景など目に入って来なかったな。随分と長い道のりを来たものだ」

「観光に来たわけじゃないからそんな暇も無かったわよね。それにしても、この街も大きな街ね……」

 寺院はイッカーナ市の側に聳える山の中腹に存在しており、寺院から眺めるイッカーナの街並みは壮大で高い位置から見下ろしても大規模と言っても過言ではないものであった。その様子をみたエルザは感嘆の息を漏らしながら呟いたのだった。

「よし、では早速宿を探そう。ついでに鍛冶屋で武器を鍛え直さねばな。武器もぞんざいに扱ったままでは泣いているだろうしな」

「そうですね。この剣も、よく耐えてくれたものです」

「……それはオーラルドの剣だな。奴も几帳面な性格だったからな、剣の手入れは怠っていなかっただろうし、それを継いだのもその息子なのだから剣も長生きが出来ているのだろうよ」

「……。誰かさんと違って大違いよね。オーラルドの小父さんは父さんと違って闇雲に猛進しないもの」

 そう言ってエルザは父に対して皮肉る。その言葉を聞いたヘラクレスは無言のまま彼女を睨みつけると、エルザは悪びれる様子もなく逃げるように下り道を早足で駆けて行った。

「全く……生意気な娘よ」

 ヘラクレスはそう言って笑顔を覗かせる。その様子を見て厳格な騎士団長と云えども一人娘の父親なのだと改めて感じたのだった。

 それから僕とヘラクレスは肩を並べてエルザの後を追いかけつつ、イッカーナの街へと向かったのだった。

 

 ◆

 

「武器屋で装備も粗方買ったし、後は体力回復するだけだな」

 僕らは手頃の良さそうな宿を見つけ、荷物を預けた後武器屋へと足を運んだ。その目的は武器の再鍛錬と装備の調達である。主の導きの元必要な物を買い揃え、その後は各々自由に街を探索する事にしたのだった。

「しかし、この街は大きいな。沢山の人で賑わっていて楽しい雰囲気だ」

 防具を外し身軽になった身体でイッカーナ市街を見て歩く。日用品を商う店や食品を売ったり食事をしたりする場所、不定期に現れる大道芸人など街中は人々の活気づく声で溢れ返っていた。

ヘラクレス様は鍛冶屋に張り付いたままだし……エルザはいつの間にかどこかに行ってしまうし……僕はどうしようかな」

「うーん、イルムちゃんの事も気になるし情報収集でもしてみるか」

 主からの提案に異論はなく、僕は彼の指示に従うべくイッカーナ出身の市民に声をかけてみることにした。

 しかし、手当たり次第に聞き込みをしてみても有力な話を聞くことはできずに時間だけが過ぎていく。誰に聞いてもイルムヒルデの情報やこの国に存在する寺院についての情報を聞くことはできなかった。

「はあ……ここまで情報が無いと活路が見出だせないな……困った……」

「手当たり次第に行けってか……不親切なゲームだな……お?」

 何かに気付いた様な主の声に顔を上げると、僕の側に一人の女性がこちらを見つめて佇んでいた。

「お兄さん、何か困り事? 何なら手伝ってあげましょうか?」

「本当ですか……! 有り難い……実は――」

「ううー! イルムちゃんに続く眼のやり場に困る服装してる! 年上もアリだな……!」

 再び興奮したような主の声が聞こえてくる。何度目になるか分からないその反応に半ば諦めつつ、僕は目の前に居る女性に質問をしてみることにした。

「あの……この国に点在する四つの寺院についてなんですが……何か御存知でしょうか?」

「寺院……? ……そうね、一応知っている事があるのだけど」

「本当ですか!? 是非教えて頂きたい……」

 そう切り出した瞬間、目の前の女性は目を細めて僕の身体全体を舐めるように隅々まで観察している。その様子を見て主の言葉が脳裏をよぎり、僕の心に彼女に対する不審感を抱いたのだった。

「教えてもいいけどぉ……それは楽しいことをしてからにしない……?」

「えっ……あの……」

 薄々感じていた不審感、それは彼女の布が少なめにあしらわれた衣服や言動を聞いてそれらが確信に変わる。彼女は水商売の類の人間である、と。

「おっほ! いいぞ! そのまま付いて行け!」

「……。あの……僕はそう言ったお話をしているわけでは……」

「いいじゃないのよ、お兄さんこんなにも逞しい身体をしているのに……可愛い顔をしちゃって……結構タイプよ?」

 そう言って水商売の女性は僕の身体に密着して、物を強請る子どものように甘い声で囁く。同時に彼女の身体から漂う香水の香りが鼻孔を擽り思考を混乱させていく。

「身体も逞しくて……こっちの方も逞しいのかしら……?」

「――! ちょっ……!」

「おっ、おっ! イベントがあるのか!?」

 彼女はこちらを見つめながら僕の下半身へと手を伸ばしていく。彼女が目的とする場所まであと少しというところで、僕の耳に次第にこちらへ近づいてくる足音が聞こえてきたのだった。

 

「ちょっとちょっと、うちの下僕に何の用なのかしら」

 

「ああ! エルザたんタイミング良すぎだろ!」

 主の声とともに聞こえてきた声、そこには眉を吊り上げながら水商売の女性を凄い剣幕で睨みつけるエルザの姿があったのだった。

「げ……下僕……?」

「そうよ。私の召使いであり忠実なる僕。その忠誠心はまるで躾を仕込んだ犬のようにね」

「……。決して違うと言い張りたい……なにもそこまで言わなくても良いじゃないか……」

「なんなら、この場で私に対する忠誠を試してみましょうか? 逆立ちしながら情けない声でワンと鳴けと言ったら即座にしますけど?」

 相手に聞かれぬように小さな声で遺憾の気持ちを吐露する。下僕という衝撃的な単語が効いたのか、水商売の女性はそそくさと逃げるようにしてこの場を去ったのだった。

「あーあ、行っちまった……」

「……エルザ、助かったよ……! ありがとう!」

「……。ふん!」

 危ない所を助けてくれたエルザに礼を述べると、彼女は嬉しそうな表情を浮かべるどころか一瞬にして不機嫌な表情を見せ、早歩きで僕から遠ざかって行ってしまった。

「あ……エ、エルザ……!?」

 肩を上げながら地面を踏みつけるように歩くエルザ。その歩き方に周りの市民から注目を集める。エルザは何かが原因で怒っているのだろう、彼女の背中に伸びる三つ編みまで不機嫌な表情を見せているようだった。

「ま、待ってくれよエルザ! どうしたんだい一体……」

「さあ、モテモテのあああああなら直ぐに判るんじゃないの? ……おじさん、串焼き三つね」

 こちらに顔を向けることはないままエルザは露店の前で足を止める。

「はいよお嬢ちゃん! お待ち!」

「ありがとう! あ、代金はこっちの下僕から貰ってね」

「へっ!? 下僕……!?」

 エルザはそう言うと両手に串焼きを持って露店の前から歩いて離れていく。取り残された僕と露店の店主は呆気に取られ互いの顔を見つめる。

「ははは! 兄ちゃんも気の強い彼女ちゃんを持ったねぇ! 将来的に尻に敷かれるな、こりゃ!」

 店主は小さくなっていくエルザの後ろ姿を見つめながら豪快に笑う。彼女の気の強さは昔からだが、今回は一段と強い気がする。

「いや、付き合っているというわけでは……」

「あらら、そうなの? 美人なのに勿体無えよ、家の母ちゃんと交換してくれって話だぜ!」

「あはは……。あ、お代は幾らですか?」

 エルザの話題で気が逸れていたが、エルザが購入した品物は払わなければならない。店主に対して串焼きの値段を尋ねながら自らの財布を懐から取り出す。すると僕の目の前に店主の笑い声とともに彼の大きな手が視界を遮った。

「お代は要らねえさ! その代わり、あの子を幸せにしてやりなよ!」

「え……でも……」

「好意は素直に受け取っておいて損はないぜ兄ちゃん。……ほれ、彼女ちゃんがこっちを見てるぜ。兄ちゃんを待っているんじゃないのかい?」

 店主の指差す方向に視線を移すと、そこにはつまらなそうな視線を送りながら静かに佇むエルザの表情があった。

「さあ、行った行った! 守ってやるのも男の仕事だからな! 頑張りな!」

「……ありがとうございます! では僕はこれで……」

 店主に対して頭を下げると、彼の言葉に従いエルザの元へ駆けていくことにしたのだった。

「……遅い、もっとキリキリ歩きなさい!」

「……何をそんなに怒っているんだい?」

「……。知らない人の前でデレデレしちゃってさ。口では断っていたけど顔が綻(ほころ)んだままだったわよ」

 手に持った串焼きを口に運びながらエルザは一つひとつ言葉に出していく。

「それは……その……」

 先程の主の言葉にもあったように、水商売の女性は目のやり場に困る服装を身に纏っていた。本能的に視線が移りつい顔が緩んでしまったと言っても、彼女には信じてもらえないだろう。

「……ふんだ、どうせ私は色気がないわよ! 男はみんなそうなんだから……」

「そういう風に言っていないじゃないか……」

「……。もう少し、幼馴染を気にかけてくれても良いじゃない……」

 攻撃色の強かった声色が急に勢いを失い静かな口調になるエルザ。そんな彼女の表情を伺うと、拗ねたような表情をしていた。

「エルザ――むぐっ!?」

「一本あげる! ご飯まだだもんね!」

エルザはそう言って持っていた串焼きを僕の口に押し込んで笑顔を浮かべながら駆け出す。その様子を見て半ば呆れつつも彼女の後を追い側に並んで歩く。その後もエルザは笑顔を見せていても彼女の表情は晴れることはなかったのだった。

 

 ◆

 

 エルザが不機嫌な表情を浮かべたまま歩いていると、周りの市民からの視線を感じるので近くにあるオープンテラスの店を見つけ彼女をそこの空いている席に座るように促す。すると彼女は素直に席に着いたのだった。

「それで? この先はどうするつもりなのかしら、モテモテのあああああ様?」

「……まだ言うのかい……。とりあえずだけど、南の寺院も東の寺院と同じように宝玉を奪われていたのだから、この先西と北に行っても無駄骨になるだけさ。それにイルムヒルデは空を飛べるみたいだし、他の場所にある宝玉も破壊しに行っているだろうね」

 歩きながらエルザは今後の行動について質問をしてくる。エルザ曰く、今は休息という形でイッカーナの街に滞在しているが、その先の事となると課題が山積していて状況を纏めることが重要で休むに休めないと言うのだ。

「このまま賢竜の棲む洞窟に向かうしか無いね。何も出来ないまま帰るより一度話してみないと。賢竜は名前の通り賢い生き物だしきっと分かってくれるさ。その為の和睦だしね」

「そうかも知れないけど……その賢竜はどこに棲んでいるの?」

 再び質問をするエルザに解りやすく説明するために懐からこの国の地図を取り出す。

「賢竜の棲む洞窟は……ここさ」

 僕は広げた地図にある場所を指し示す。そこには僕が印したマークとともに西の寺院と書かれていた。

「西の寺院? 寺院の中に棲んでいるの?」

「いや、西の寺院の奥に洞窟があるんだよ。でも、そこは明確な場所が分からないうえに人も近付かないから忘れ去られているんだ」

 エルザは僕の話を聞きながら広げられた地図と睨み合う。そうしている内に着席した席の店の店員がやって来た。

「ああ、席を勝手にお借りしてすみません……じゃあ、ボックを一つと……エルザは――」

 注文を聞くためにエルザの方を見ると、彼女は未だに地図を睨んだまま顔を上げない。このままで居ても仕方ないのでエルザが好みそうなものを思い浮かべながらメニューを眺める。

「……レモネードを一つ。それからプレッツェルを」

 そう注文すると店員は軽く返事をして紙に注文を書き込み僕らから離れていく。

「寺院はどこも同じ大きさなんでしょう? そんなに入り組んでいないから直ぐに見つかりそうなものだけど……」

「だからこそ解っていないんじゃないのかな。単純が故に見つかりにくい……隈無く探す必要がありそうだね」

「ドでかい迷宮を連想したけど、そうじゃないみたいだな。でも一つひとつ探すのも面倒だな」

 主も交えて目の前に広がる地図を見ながら首を傾げる。すると、見つめていた地図が何かの形に沿って陰り僕らの注意を引いた。

「どうしたのだ、地図を眺めながら首など傾げおって」

「父さん……どこに行っていたのよ」

「少し鍛冶屋巡りをな。流石は大きな街、ステアズに劣らぬ精巧な鍛冶屋ばかりだったよ」

 ヘラクレスは興奮気味に語りながら僕とエルザの間の席に座る。

ヘラクレス様、これから僕たちは西の寺院へと向かおうと思うのですが、如何でしょう。南の寺院の宝玉も取り抜かれていたと考えると他の寺院も同じなのではないかと思うのです」

「ふむ……そうだな。馬鹿正直に他の寺院を巡るのもおかしな話だろう。そのまま賢竜の棲家に向かった方が賢明か」

「あら、父さん賢竜の居る所知っていたの? 言ってくれれば良いのに」

「何を言うか、そのくらい予め調べておきなさい」

「何よ! 予備知識として教えてくれても良いじゃないの!」

 またしてもスティンベル親子の喧嘩が勃発する。過熱していくと周りの目が気になり始め、部外者であるはずなのに自らの事のように心が焦り始める。

「ヘ……ヘラクレス様、エルザ……もう少し穏便に……」

「また親子喧嘩か……よく飽きないよな、単純というか」

「やかましい!」

 主の言葉に対して二人は同じ口調で食って掛かる。主の言葉に思わず笑いが出て顔を伏せると、スティンベル親子から重く恨めしいような呻き声が聞こえ、頬の緩みを引き締めたのだった。

「……お待たせ致しました」

 先程の注文を取った店員が料理を運びに戻ってきた。二人の騒ぐ様子を見て店員は怪訝な表情を浮かべて盆に飲み物と料理を乗せて立ち尽くしている。

「ああ、すみません……ありがとう」

 テーブルの上に広げた地図を片付けて運んできたものを置いてもらう。目の前に置かれたグラスの中にはきめ細やかな気泡が沸き立ち、乾いた喉を潤すには打って付けな姿をしていた。僕が注文した物の次にエルザの好みでありそうなレモネードとプレッツェルは続けて置かれる。

「なんだ、二人とも注文していたのか。すまないが、追加でこれと同じものを頼む」

 ヘラクレスはそう言って僕の前に置かれた物を指さし注文を伝える。それを聞くと店員は再び店内の奥へと消えていった。

「……これ、あああああが頼んだの?」

「え? ああ、エルザはこういう方が好きかなって思ってね……」

「よく解ってるじゃない! 流石は下僕ね」

「む? 何だ、下僕とは」

 この会話に途中から入ってきたヘラクレスは事情が分からず眉間に皺を作る。詳しく説明することに抵抗を感じ、はぐらかしながら注文した飲み物に口をつける。唇を伝わって冷たい感覚が唇の皮膚を突き刺す。

「……それで父さん、ここから先は西の寺院に向かうということでいいの?」

「ああ。その方が無難だろうし、何よりここから近い位置にある。争いを早めに良い方向へ向かわせることが目的であり使命だ。何日もかけることは出来ぬ」

 ヘラクレスの話を聞いてどの位の距離なのかを問うエルザ。彼が答えようとしたと同時に注文した物が届き、話は一旦途切れた。

「ここから何日もかかるような距離なの? もしそうだったら色々買い揃えておかなきゃならないけれど……」

「心配は要らぬ、目と鼻の先だ。明日の明け方に出れば昼ごろには着く」

 そう言うとヘラクレスは手に持ったグラスを自らの方へ傾け、中身を一気に飲み干す。見る見るうちに無くなっていくその様子は豪快の一言に尽きるものであった。

「父さんの感覚で考えると私にとっては遠い距離ね……」

「そうでもないよ。さっき僕らが見ていた地図でもここと西の寺院はそんなに離れてはいなかっただろう? ここまで来る時のような距離ではないから安心して」

 ヘラクレスに変わりこちらからエルザの質問を返す。エルザは納得したようで小さく頷きながらプレッツェルを一口大に割り口に運ぶ。

「とりあえず大筋の予定は決まったのだ、明日の予定は明日に持ち越すことにしよう」

「……それもそうね。父さん、あまり飲んでは駄目よ!」

「ふふふ……今日は疲れを癒やすことに専念しましょう」

 それから僕らは、一つの卓を囲んでささやかな休息の時を過ごして夜を迎えたのだった。

 

 ◆

 

「……! ……ってば!」

 夜の帳も堕ち切った空間から何か声が聞こえ目を開く。酔いが回り安定した思考を持たない脳を無理矢理動かして状況を把握しようと、呻き声を上げて脳に刺激を送る。

「もう、あああああってば! いつまで酔いつぶれてるのよ……!」

 声のする方に顔を上げると、そこには焦りの表情に塗れたエルザの姿があった。

「……? あれ、エルザ……? どうしたんだい、そんな怖い顔をして……君が言う通り宿屋に戻ってベッドで寝てるじゃないか、何もそこまで怒らなくても」

「誰が怖い顔よ! 寝ぼけてないでとっとと起きなさい!」

 小さな声で囁いていた声が怒鳴り声に変わり腰に掛けていた掛け布団が一気に剥がされる。それに驚きエルザの方を向くと、眉を釣り上げこちらを睨みつけていた。

「おお怖い……家の母ちゃんみたいだな……」

「お……起きた、起きたから……! だからその振り上げた腕を下ろしてくれ……!」

「まったく……! いいからちょっと付いてきてよ……」

 鬼の形相をした表情から一転して不安そうな表情を見せるエルザ。一体、何があったのだろうか。

「……どうしたんだい? 外に連れてきて……」

「……あの、ね」

 エルザは言いづらそうな面持ちでこちらを横目で見る。そして、彼女の頬が薄ら赤く染まり逆上せたような様子を見せ、強く吹く風に乗せてやってくる彼女の仄かに甘い香りで思わず鼓動が高鳴る。幼馴染とはいえそのような表情を見せられると何かと勘違いしてしまいそうだ。

「な……何だい……?」

「……」

 少しの期待を胸に抱きながらエルザに問いかける。すると、彼女は二つの瞳に涙を浮かべてこちらを見つめていた。

「え……! エル――」

「さ……さっき、私が寝ている部屋の窓から……変な音が聞こえて……怖くなっちゃって……!」

 声を震わせながら恐怖に慄く彼女の姿と言動に拍子抜けする。考えてみればエルザは昔から暗い所や死者の霊が徘徊するなどの話が大の苦手なのだ。それが例え作り話であったとしても、大声を上げて逃げ出してしまう程なのだ。

「……なーんだ、愛の告白じゃないのか。つまんね」

「……愛の告白……?」

 少し考える素振りを見せた後、主の言葉を察したようでエルザは大声で笑い始めた。

「冗談、冗談! どうしてしみったれた話をあああああにしなくちゃならないのやら。それに私にも選択権くらいあるわよぉ」

「……傷つくなぁ……」

 夜であるにも関わらず大声で笑い続けるエルザを見兼ねて、彼女に割り入り本題に移させる。

「ごめん、ごめん……。可笑しっくて、つい」

「やれやれ、これじゃヘラクレス様も大変だ……。それで、変な音がしたって言ったけれど……?」

 話を元の路線に戻すと、目尻に皺を作っていたエルザの表情が再び曇り始める。

「そうだったわ……。何か、ドスンって物が落ちるような音がして……! それでいて呻くような声が聞こえてきて……きっと死神かなんかが木登りに失敗して落ちて苦しんでるんだわ……! どうして一思いにやらないのよ! 恐怖心を煽って、勘弁してよ……!」

「……。……意味が分からない……少し落ち着いたらどうだい……。それに死神は木に登らないし、登って落っこちるような間抜けじゃないと思うよ……」

 身体を小刻みに震わせるエルザの肩を優しく叩く。エルザは混乱しているようで言葉に纏まりがなく支離滅裂なものだった。

「とりあえず、エルザの泊まる部屋の所に外から行ってみよう。行ったら何か判るかもしれないよ」

「う、うん……」

 恐怖に震えながらもこちらの意見に賛成するエルザ。彼女の頷く様子を見てからエルザが言った場所へと歩を進めた。その途中でも彼女の恐怖に慄く様子は収まらないのだった。

「は……早く行ってよ……!」

「分かったから、そんなに押さないでくれよ」

 僕の背後に回ったエルザは小刻みに震えながら背中を押して先に進むよう促す。進んでいくと、弱く吹いている風がどこかいつもと違う雰囲気を醸しだしていて、煽る木々の囁きは雰囲気に左右されてどよめきと化していた。

「……。本当に気味の悪い感じだ。ここがエルザの部屋だね?」

「う、うん……丁度そこの――」

 エルザが自らの部屋の方を指さした途端、エルザの行動がぴたりと止み息を呑む音がこちらに伝わってくる。

「……? エルザ……?」

「いっ……今、何かが……!」

「……なんだろうな、こんな所で……」

 今にも消えてしまいそうな程小さく掠れた声を出しながらエルザは目を見開いて、音がした方を真っ直ぐに見つめる。その方向を同じように辿って行くと、木の影になっていて詳しい事は判らないが植物以外の何かが蠢いているのが見て取れたのだった。

「……なんだろう、確かに何かが居るね……」

 エルザの言う事柄が現実となって姿を現すと一気に現実味が増してくる。形を見て余計に震えるエルザを引き寄せながら物体へと近づき持っていた剣の鞘に手を掛け何度も剣の在処を確かめる。そよ風が陽気に駆け抜けていく中、僕らを取り巻いていたのは高ぶる緊張と恐怖心だけであった。

「どっ……どどどどどどうしよう……! 竜の僕よりも粗暴で大食らいで破廉恥だったら……!」

「……大食らいはともかく、それは主のことを言っているのかい……? とにかく、静かにしてくれ……」

 こんな状況にいても口数が減らない所だけは見習いたいものだと改めて感じる。

「……う、うう……」

「――!」

 一歩ずつ近づき、もう少しで目的の物体の元へ到着できると思ったその時、物音に気付いた物体が呻き声を上げながらうごめく。その様子を見たエルザは喉元まで出かかった言葉が詰まり声にならない叫びを上げていた。

「――! ……! ……!」

「待ってくれエルザ……! 何か様子が変だ……」

 慌てふためくエルザを抑制しながら物体を見つめる。よく耳を澄ましてみると物体からは人間の言葉のような単語が聞こえてくるのだ。そしてその声はかなり若い、いやとても幼いと言った方が妥当だろう。それらを考慮すると竜の僕などの人間以外の生物であるとは考えにくいのだ。

「……ず……みず……」

「……!」

 風とともにやって来る掠れた声が耳に届く。それと同時に曇っていた空が晴れ始め月光が地上を照らす。するとそこに居たのは――

「た……大変! こんなに小さい女の子が……!」

 恐怖に染まった表情から一転して慌てた表情を見せて横たわる少女の側に駆け寄るエルザ。エルザが向かう先、幼い子どもが疲弊しきった様子で行き倒れていたのだった。

「しっかりして! ……こんなに冷たくなって……ほら、これを被って」

 エルザは少女を抱え自らの衣服を脱ぎ、少女の身体を衣服で包み込む。そしてエルザは少女の顔を自らの顔に近づけて安否を確認する。

「……今のところ意識は十分にあるみたい……あああああ! 私の部屋に水筒があるから急いで持ってきて!」

「あ……ああ! 分かった!」

 突然の出来事に呆然としつつもエルザの指示に従う。目の前で苦しむ少女を見す見す目を瞑る訳にはいかない、その念が僕の身体を動かしていたのだった。

 

 ◆

 

「ん……んっ、んぐ……けほっ!」

「落ち着いて……ゆっくり飲むのよ。大丈夫、水筒は逃げていかないから」

 駆け足でエルザの部屋に向かい、部屋の中にある化粧台の上に置いてあった水筒を引っ手繰るようにして持ち出しここへ持って来た。エルザたちの元へ戻ってくるとエルザは少女を抱き寄せ身体を温めていたのだった。

「お嬢ちゃん、大丈夫かい……?」

 水筒の中身の水を飲み干した少女の姿を見て彼女自身の容態を伺う。すると少女は先程よりも顔色がよくなり顔の張りを取り戻していた。

「うん! お陰様で生き返ったよー!」

 そう言って少女は笑顔を見せる。彼女の様子を見る限りでは大丈夫のようだ。

「良かった……あんなに苦しそうな表情していたから心配しちゃった」

「お姉ちゃんもありがとう! とってもあったかくて安心したよ!」

 すっかり元気を取り戻した少女は笑顔を僕らに振る舞う。その様子を見ていると心の中が温まっていくのを感じた。そして、主も僕らと同じように喜びの声をあげる。

「ふおおおおお! 何この幼女可愛い! たまんねえな!」

「……。こんなに幼い子に興奮するだなんて……心底見損なったわ」

「……流石にその意見には賛成だよ……」

 嬉々とした声を上げながら喜びに狂う主の元で僕とエルザは深い溜息をつく。主の声と姿が見えていない少女は僕らが突然溜息をつく様子を見て、不思議そうに見つめていたのだった。

「……そう言えば自己紹介がまだだったね。僕はあああああ・ツェデニアス。お嬢ちゃんの側に居るのはエルザ・スティンベル。お嬢ちゃんの名前は何と言うんだい?」

「スルヤの名前? スルヤはスルヤ・マルシャン=アルビエって言うの! ガハルト王国の隣の国のフィッデルから来たんだよ」

「フィッデル王国!? フィッデルからガハルトのイッカーナの街まで来るのは相当な距離があると思うけれど……一人で来たの?」

 フィッデル王国は、ガハルト王国の隣に位置している国で広大な土地を有している王国である。来た場所にもよるが、どちらにせよスルヤと呼ばれた少女のような幼い子どもが徒歩で来られる距離ではないのだ。

「ううん……お兄ちゃん、アレクシスお兄ちゃんと一緒にこの国にある四つの寺院の一つ、北の寺院を目指してやって来たんだ」

「北の……寺院……!?」

 スルヤの口から飛び出した言葉に僕たちは驚く。普通の人間ならば近付きもしない場所であるはずなのに、寺院の一つを目指しているということは、単に好奇心で向かっているわけではない。むしろ何かの目的があって赴いたのだろう。とはいえ、このような子どもまで旅をしているというのは驚きを隠すことは出来ない。

「お兄ちゃんと一緒に、賢竜とお話するためにここに来たの。……途中でお兄ちゃんとはぐれちゃって、まじつのちからもなくなっちゃって……やっとの思いでお姉ちゃんたちの所にきたんだよ」

 スルヤは金色の短い髪を風になびかせながらこれまでの経緯をたどる。彼女の口から飛び出してきた言葉の数々は、見た目で侮っていた事柄を覆すもので僕たちはその現実にただただ驚愕していた。

「ス……スルヤちゃん、賢竜とお話って……? それに魔術って言ったわよね……」

「うん! お兄ちゃんは、わぼく……っていうのをやりたいからスルヤもついてこい! って言われたから付いてきたんだよ!」

「……。賢竜との和睦に魔術を使用する為に派遣された……エルザ、これは一体……」

「……この国以外でも賢竜との和睦を結ぶために躍起になっていると聞いたことがあるけど……けれど、こんな小さな子まで連れ出すなんて――」

 エルザがそう言葉を放った瞬間、突然目の前が明るくなりその反動で瞼を閉じる。瞳が少しずつ慣れていき瞼を開けると、そこには手のひらに小さな炎を宿し佇むスルヤの姿があったのだった。

「今は疲れててちっちゃい火しか出せないけど、元気な時はうんと大きな火を出すことが出来るよ! これ、まじつのご本を読んで出来たんだよ! この力でお兄ちゃんをたくさん助けたんだよ! 他にも出せるんだよ、ええとね……」

 彼女の手のひらの中に包まれている火にも負けないほどの笑顔をこちらに向けるスルヤ。どこかに火種を隠し持っているというわけではない。スルヤが次々と魔術を披露している中、僕らは互いの顔をぼんやりと眺めているしか出来ないのだった。

「……。この子は……本物の天才……?」

「かも……知れないね……」

「くっそ、超好みだぜスルヤたん! もっと喋らねえかな!」

 過熱していく主の声に頭を抱えるエルザ。すると、スルヤは不思議そうな面持ちで僕らの方を見つめる。

「ねえねえ、どうしてあああああお兄ちゃんたちの後ろにかみさまが付いてきているの? おともだちなの?」

「!? スルヤちゃん……!?」

 再びスルヤの言葉に驚愕する。神の声が聞こえる人間は世界に数える程しか存在しないと言われているが、スルヤには聞こえているというのだ。その発言を聞くと益々彼女の事が気がかりになる。

「こ……この、ぼんやりとしてて生意気そうな憎たらしい顔が……見えるの……?」

「? 見えるよ。昔から見えていたし、お兄ちゃんも見えているって言っていたよ」

「……。今夜は私と寝ましょうね、スルヤちゃん。小さい子を一人にするなんて危険すぎるわ。……特に」

 エルザはそう言って主が居る空を見上げる。彼女の瞳には軽蔑の色で溢れかえっていた。

「そ……そうだね……。こんなに遅い時間じゃ話も纏まらないだろうし、色々スルヤちゃんの事を聞きたい。それに疲れているだろうしね」

「えっ! スルヤ、お姉ちゃんたちと泊まっていいの!?」

「ええ。外だと凍えちゃうでしょう? それにスルヤちゃんのお兄さんが居る場所には私たちも行くから、一緒に行きましょう。子ども一人分増えたくらいの料金なんてどうってことないわ! むしろタダにすべきよね」

 途中からエルザの話がスルヤのことから明日以降の事柄へと変化していく。話の内容を把握しきれていないスルヤは首を傾げる。

「ま……まあまあ、今日はここまでにしよう!」

 これから先の計画を綿密に立て自分自身の世界に浸るエルザを呼び戻す。スルヤについてはエルザに任せ、部屋の前で別れる。突然現れた魔術の力を持つ少女スルヤ・マルシャン=アルビエは眩しい笑顔を見せながら、僕の姿が部屋に隠れるまで微笑みながら手を振っていたのだった。

 

 ◆

 

 明くる日、僕とエルザは昨夜にあったことを当事者ではないヘラクレスに報告をした。エルザの泊まる部屋の側から聞こえた物音、その正体がフィッデル王国からやって来たスルヤ・マルシャン=アルビエという名の少女であるということ。そしてスルヤは既に魔術を習得しており、僕と同様の力、外界の神の姿が見えるということ。事の隅々をヘラクレスに話したのだった。

「ねえねえ、おじさん。スルヤを肩車して重くないの?」

「わっはっは! このヘラクレス、水がたんまり入った樽を三つ持ってもびくともしないぞ! 力仕事なら任せておきなさい」

 僕らがイッカーナの街中に泊まった宿を早朝に出発して大分時間が経った。距離にしてステアズから東の神殿と同じくらいの距離だ。僕たちにとっては慣れた道の長さであるが、スルヤにとっては少し酷だろうというヘラクレスの一声で、彼女の脚をヘラクレスが変わって歩いているのだった。

「いいなぁジジイ。俺もスルヤたんを肩車したい!」

「ダメよ、昨晩は変な目で見ていたくせに……!」

「それにしても、スルヤはヘラクレスにすっかり懐いてしまったね。まるで昔のエルザを見ているようだよ」

「父さんは前から子どもが好きだしね。それに図体がでかいから小さい子がよく集まってくるのよね」

 そう言ってエルザは笑う。ステアズで行われる騎士団主催の催し物でもヘラクレスは幼い子どもから絶大な人気を誇っている。子どもの面倒を見ることは彼にとって束の間の休息の様なものなのだろう。ヘラクレスの表情には今までに見たことのない程の笑顔が輝いていた。

「して、スルヤよ。君は魔術を使えるとエルザたちから聞いたが……どの様な魔術が使えるのだ?」

「ええとね、得意なのはシェッゼルタで格好いいのはレーチェ。みんなが嬉しいって言ってくれるのはコーカイムで……それからね……」

「……どうしてそんなに高等魔術の呪文がペラペラと出てくるの……? 只者じゃないわ、スルヤちゃん……」

「魔術の知識がない僕らにとってはよく分からないけど……どういう物なんだい?」

 スルヤから出てきた言葉に疑問が湧き彼女に質問をする。すると、彼女ではなく主がスルヤに代わって魔術の説明を述べ始めた。

「スルヤたんの使える魔術は……っと。突き刺す疾風・シェッゼルタ。風の矢が群となって駆けていく魔術。忍び寄る凍雨・レーチェ。冷たい雨が音もなく敵に襲いかかる魔術。無限の炎・コーカイム。眠らぬ炎を呼び出す魔術……物騒だけど、格好いいじゃねえか……」

 主は興味深そうにスルヤが使える魔術を言葉にしていく。それを聞いたエルザは目を丸くして驚いていた。

「へええ、少しは教養があるようね。ちょっと見直したわ」

「しかし俺とあああああは解らぬぞ。想像がつきにくい」

「じゃあ、スルヤがやってみるよ!」

 スルヤはそう言うとヘラクレスの肩から飛び降りる。すると、僕の方に向けて人差し指を立てる。

「えっ……! ちょっと――」

 

「ちゃんと避けてね。―忍び寄る凍雨(レーチェ)!」

 

 彼女の叫びとともに咄嗟の判断で身体を横側へと放り投げ回避する。転がりながらも体制を立て直しすぐさまスルヤの方を睨みつける。

「あ……危ないじゃないか! 何も僕を狙わなくても……!」

「だって、お兄ちゃんを狙ったんじゃないもん。ポカポカした身体を冷ますためにやったの」

「! あああああ! あれを見て!」

 何かに気付いたエルザが絶叫する。その声に倣って彼女の目線を辿る。すると――

「むっ……!? 霧と共に竜の僕が現れた……だと……!?」

「見たことのない竜ですね……これは……」

 何ら変哲のない道の真ん中で突然霧が発生する。それとともに霧の中から今までに見たことのない程大きな身体の竜の僕らしき竜が出現した。体高はヘラクレス程あるだろうか、高さだけではなく横幅も巨大でその様子はまるで岩石のようだった。

「これ、まりうだよ」

「まり……う……?」

 スルヤの舌足らずの話し方では何について言っているのか判らず困惑する。それを見かねたエルザはこちらに助け舟を出す。

「スルヤちゃんの言う通り、これは魔竜と呼ばれる竜の僕の一種よ。……私も本物を見るのは初めてだけど……こんな風に出現するのね……」

「まりうは、まじつを使うことが出来るから、ああやってかくれんぼしながらお散歩するんだよ」

「おまけに耐久値も高いときた。こりゃマズイぞ……」

 見るからにして大きな体を持つ魔竜は頑丈そうで僕らが所持している武器では歯が立ちそうにない。しかし、立ち尽くして傍観していては一方的にやられてしまう。

「くっ――はあっ!」

 鞘から抜いた剣を振りかざし魔竜目掛け飛び込む。魔竜はその様子を見ても動ずることはなく二つの丸い目だけが僕を睨んでいる。僕は、動かない魔竜を相手に一撃を与えようとする。

 

 ――しかし

 

「――!? ぐあっ……!」

 振り下ろされた剣は魔竜の脳天を直撃した。だが、自らの手には物を切ったという感触は一切なく、何かの鉱物を剣で叩いたような鈍い衝撃と痛みが遅れて腕に伝わってくる。その痛みに身体が麻痺し、その場に尻餅をつく。

「ダメだよお兄ちゃん! まりうは叩いたり蹴っぽっても痛いって言わないよ!」

「何!? 我々の攻撃が一切効かないというのか!?」

「……いいえ。魔竜は打撃攻撃が効かないだけなのよ、父さん。少なくとも今の状態はね」

 痺れた身体を立て直しながらエルザの助言に耳を傾ける。

「魔竜は皮膚が他の竜たちと比べて非常に脆い。だから自分自身に強力な防御魔法を掛けて刃が通らないような肉体を保っているのよ。ギロチンで叩き割ろうが、爆弾で爆発させようが一切受け付けない。……でも」

「でも、まりうにはまじつを怖がるからまじつでやるしかないんだよ! まりうのまじつはまじつで……たいこう? 出来るんだって!」

 剣を地面に突き刺し杖代わりにして身体を支える。魔竜が居る方を向くと、あちらもどうやら戦う体勢を整えたようでこちらを警戒の眼差しで睨みつけている。

「くう……っ! 身体が言うことを聞いてくれない……!」

「それも魔術のこうか……お兄ちゃん、任せて!」

 痺れる身体を持ち上げながらスルヤの方に注目する。スルヤは再び人差し指をこちらの方向に指差し、魔術の呪文をつぶやき始める。

「……したがえ、突き刺す疾風(シェッゼルタ)!」

 彼女の一声とともに辺りから旋風が舞い起こる。風が声を荒らげて吹き上がったかと思うと、スルヤが指差した方向へ半透明の風の矢が魔竜へと襲いかかる。

「! なんだ……!?」

 スルヤから放たれた風の矢が魔竜に命中し、白い煙が辺りに巻き起こる。それと同時に風の矢が何かを弾き飛ばす音が聞こえてきた。煙が晴れ魔竜の方を見ても何ら変哲もなく佇んでいる。だが、心なしか魔竜が立つ力が衰えているように見えるのだ。

「なにを……?」

「まりうの身体にあるまじつを壊したからやっつけられるよ!」

「なるほど……魔術の鎧を魔術で剥いだというわけか」

 ようやく身体の痺れが取れ始め剣を魔竜に向ける。間合いを詰め始めると、魔竜も同時に動き出す。巨大な身体を持っているとは思えない程の俊敏さで驚き足が竦む。

「くっ……! てやあっ!」

 剣を振りかざすと隙が生まれ、こちらに突進してくる魔竜に対処することが出来なくなってしまう。そう考えレイピアを構えるように剣を、魔竜を捉えるようにして構える。

 魔竜の動きを見切って剣を突き出す。銀色に伸びる剣身は真っ直ぐ力を掛けた方向に突き進む。剣がたどり着いた先は、魔竜の岩のように固く厚い皮膚へと食いつく。魔竜はその痛みに苦しみ鋭い悲鳴をあげながら暴れまわる。暴れれば暴れる程魔竜の肉体に食い込み剣が抜けなくなっていく。剣は突き刺さったまま、剣を握った僕を振り回す。

「っ! うぐっ……!」

 魔竜が突然仰け反り僕の視線が急上昇する。突然思いもよらぬ方向へ上がった事で握った柄が滑り地面に叩き付けられる。叩き付けられた衝撃で閉じていた瞼を開くと、そこにはこちらに向かって着地しようとする魔竜の姿が、映り込んできたのだった。

「い……いかん!」

 突然の事態に思わず声が途切れる。自然と視界に入る魔竜の動きが遅くなりヘラクレスたちの叫びが意味を理解する事はなく耳を通り過ぎて行く。衝撃を恐れて強く瞼を閉じる。すると――

「――貫く流星(デアヴァーテア)!」

 岩同士がぶつかったような鈍い音が目の前で感じ、咄嗟に腕を交差させ身を守る体勢を取る。ぶつかった音のあとに地響きとともに大きなものが落ちた音が聞こえ瞼を開ける。そこには魔竜の大きな身体ではなく、叢雲に隠れた日が覗く空だけであった。

「何が……?」

「あああああ! 大丈夫!?」

 状況が把握しきれていない中、空を覆い隠すようにエルザの顔が僕の顔を覗きこむ。彼女の表情は焦りの表情が晴れ始め安心しきった表情をしていたのだった。

「お兄ちゃん! 大丈夫?」

「あ……ああ。今のは、一体……?」

 僕の周りをエルザとスルヤが囲む。

「随分スルヤたんの魔術が効くな。これは強キャラの予感……」

 恐らく主とスルヤの采配によって彼女の魔術は使われたのだろう。ふと横に目をやると小さく痙攣している魔竜が横たわっていた。

「このへんはまりうがうんといるよ。お兄ちゃんたちと会う前にも何回も会ったし」

「……随分と手強い敵だ。魔力だけに収まらず、力も相当ある……気を抜くと押し潰されてしまいそうだ」

「あああああの戦闘を見ているとその通りかもな。……先程の戦闘で他の竜たちも感付いて集まってきた。ついでに我々の目的地も直ぐそこだ。……単に仲間がやられた理由で集まってきたわけでは無さそうだな」

 ヘラクレスは戦斧を構えながら前を向く。彼の目線の先にあるもの、それは先程戦闘を行った魔竜の仲間らしき群れの姿であった。

「げげっ……めちゃくちゃ居るじゃねえか! ガチで数の暴力だな……。魔術はスルヤたんしか持ってないし……行けるか……?」

 不安の色を滲ませながら先の行末を案ずる主。その言葉を聞いたスルヤは嬉々とした表情で立ち上がった。

「かみさま、そんな顔をしないで! 大丈夫、スルヤにおまかせ!」

「ふふ……勇ましいものだ。これは将来が楽しみだな。……あまり無理をしてはいかんぞ」

「……。行きましょう、目的地は直ぐそこにあるのですから……!」

 幸い身体には損傷が少なく気になることはない。そう考えていると、僕の身体を暖かな光が取り巻き傷を癒していた。振り向くとエルザが杖を持ち、何時になく真剣な表情をしていた。

「私も全力で手助けするわ。だから、存分に戦ってらっしゃい!」

 エルザの一言に背中を押され意思を固める。エルザを始め共に戦ってきた仲間、そして新たに加わったスルヤと共に意識を一つにして剣を構える。

「――行くぞ!」

 掛け声とともに目的地、北の寺院へと突入する。寺院内にいる賢竜を目指して、再び相見えるかも知れないイルムヒルデとの決着を付けるために。全ては信念の元で身体は動いていたのだった。

 

 *

 

「ここまで来れば大丈夫だろう……」

 目の前に見えていた寺院は距離こそは短いものの、魔竜たちに行く手を阻まれかなりの時間を要し戦力を消耗させて雪崩れ込むようにして寺院内へと立ち入った。

「スルヤちゃん……大丈夫?」

「いっぱい居て疲れちゃった……ヘロヘロだよ……」

 通常の攻撃だけでは通用しない魔竜に攻撃するために、気付けば唯一魔術が使いこなせるスルヤを酷使し続け、彼女は自身の疲れを体現していた。

「うへえ、あんだけあったスルヤたんのMPが底をついてる……。何か……エルザたんのの回復魔術があるか」

「ごめんよ、スルヤ……無理をさせ過ぎたね」

「お兄ちゃんありがとう……!」

 俯くスルヤの頭を撫でると彼女は擽ったそうに笑みを浮かべる。絹の糸のようにスルヤの金色の髪の毛が指の間を弾くようにしてすり抜けていく。

「スルヤには悪いが……あまり休んでいる時間は無さそうだ。恐らく魔竜だけではなく他の竜の僕たちも騒ぎを聞きつけてこちらにやって来るだろう。そうなれば一刻も早く賢竜が居る所を見つけ出さなければならないな」

「……。どう? スルヤちゃん、少しは良くなった?」

 物悲しげな表情を浮かべながら魔術でスルヤを癒やすエルザ。エルザも僕と同じようにスルヤの頭を撫でて疲れを労う。自らの妹のように気遣う彼女の様子を見ていると、こちらにまで辛さが伝わってくるようだった。

「……しかし、ここも今までの寺院と同じ造りになっていますね。隠し部屋を造るのに最適な場所などあったかな……」

「確かにそうね……このまま突き進んでも小さな部屋が何個かあるくらいで他には何も無かったわね」

 今まで通ってきた寺院の構造を思い出す。通路を真っ直ぐに進むと最初にやって来るのは左側にある小部屋だ。そこから先に行くと左右と入れ替わりで一定の距離おきに小部屋がある。

 しかし、どの小部屋にとっても何かがあるわけではなく空き部屋ばかりであった。物があったとしても古びた燭台が数本ある程度だった。

「仕方ない、虱(しらみ)潰しに探す他方法は無いか……」

「……。そういや」

 沈黙を突き破ったヘラクレスの言葉に続いて、何かを思い出したような口調で言葉を発する主。彼の言葉に一同耳を傾ける。

「スルヤたんの兄ちゃんが先にここへ来てるんだよな……もしここへたどり着いているならこのダンジョン内にいると思うけど……どうなんだ?」

「そうだ……! お兄ちゃん!」

 立ち上がり駆け出そうとするスルヤを見てエルザはスルヤの小さな手を引きその行動を取り止めさせる。

「待って! 一人で突き進むのはあまりにも危険だわ! ……もしかしたらこの寺院の何処かにイルムヒルデみたいな敵が潜んでいるかも知れない」

「……イルムヒルデ? だあれ?」

「スルヤちゃんと出会う前に戦った相手さ。強い魔力を漂わせながら戦う強敵なのさ……一人で行くのは危険過ぎる。……それが例え、ヘラクレス様だったとしても……」

 そう言いながらヘラクレスの表情を伺う。するとヘラクレスは顔を歪ませながら静かに頷いていた。

「スルヤの兄上がここに居ると仮定すれば、何か手掛かりがあるかも知れぬ。話を聞く限りだと昨日、一昨日到着した様だからな。壁の合間や岩同士の組み合わせなど、どこか違和感があるものを徹底的に見る必要がありそうだ」

「そうね。答えは意外にも近くにあるかも知れない――」

 エルザが近くの壁に手を掛け言いかけたその時、彼女の体重を掛けた方向に壁が回転しエルザはよろめいたのだった。

「きゃっ――!?」

「お……お姉ちゃん!」

 体勢を立て直すことが出来ぬままエルザは回転する壁の中へと飲み込まれていく。そして落下しながら悲鳴をあげるエルザの声が聞こえてきたのだった。

「……なんというオチ担当。でもこれで隠し扉の謎は分かったと言うことか。エルザたん、安らかに……」

「勝手に殺すな! エルザは……!?」

「……。何処かに落下したような音がしましたね。それと、何かに怒るエルザの声が聞こえてきます」

 僕らは纏まってエルザが落ちていった暗闇の向こうを見つめる。暗闇の向こうからは冷たく湿った風が吹き付け怪しげな雰囲気を醸し出している。

「……お兄ちゃん……スルヤ、怖いよ……」

 側に居るスルヤが不安そうな声とともに僕の服を掴む。エルザの安堵とこの暗闇の向こうに何があるのか心配しているようだ。

「それでも、僕らは行かねばならないよ。エルザを一人で放っておくことも出来ないし、この先には賢竜が居るかもしれない。……大丈夫、僕らが付いているさ」

 不安に塗れた表情のスルヤに視線でなだめる。僕とヘラクレスの顔を見たスルヤは意を決し僕の手を握る。小さな手は震えながらも力強くしがみつくようにしていたのだった。

「さあ、僕に掴まって。しっかり捕まっていてくれよ……行くぞ!」

 スルヤの身体を胸に抱きしめながら暗闇に脚を放り投げ体重を預ける。そうすると、直ぐに身体へ浮遊感が身体を取り巻く。その瞬間にスルヤは小さな悲鳴を上げたが、その悲鳴は直ぐに止み僕の胸に顔を埋めていた。

「――っ、凄い……速さだ……!」

 身体全体に風は吹きつけられ、前髪は全て後ろへ捲りあがる。辺りには轟音が鳴り響いており、その様子はまるで自ら地獄に飛び込んでくる者を嘲笑する悪魔の囁きに思えたのだった。

「! 地面……! スルヤちゃん、もう少しだ……!」

 暗闇に包まれた視界がようやく別の物が映り込む。飛び込んできた物が地面であると、何となくではあったが確信を持つことが出来た。その地面に激突する衝撃を想定してスルヤの身体を強く抱きしめ直す。

「うっ……!」

 暗闇から脱出し硬い地面が僕を迎え身体が叩き付けられる。その弾みに胸に抱きしめていたスルヤを手放しそうになったが、間一髪のところでそれを阻止しスルヤを硬い地面に叩きつける事を防いだのだった。

「お……お兄ちゃん……! 大丈夫……!?」

「あ、ああ……だいじょう――」

 スルヤに自らの安否を応えようとした時、背後から絶叫と共に何かが落下してくる音が聞こえてきた。その音は次第にこちらに向かっており、悲痛な叫びであった。

「! ヘラクレス様だ……! こっちへ!」

 向き合う形で座っていたスルヤを抱き上げ落下してくるであろうヘラクレスとの衝突を避けるために駆け出す。それと入れ替わりで僕らがやって来た入り口からヘラクレスが放り出されたのだった。

「ぬっ!? ぐう……!」

 放り出されたヘラクレスは着地に失敗し全身を床に叩き付けられ、長い距離を転がる。相当な衝撃があったと思われるが、ヘラクレスは少々痛みに悶えながらも立ち上がる。自ら鋼の肉体と豪語するだけはある。

「おじさん!」

 スルヤはよろめくヘラクレスの元へ駆け寄る。スルヤの後を追うべく立ち上がろうとした時、僕の直ぐ後ろで誰かが口論しているような声が、焦っている声が耳に届いた。

 

「ちょ……ちょっと! そんな物騒なものを突きつけないでよ! 話せば解るわ……!」

「黙れ! あの女……イルムヒルデとやらの事を知っているのではないのか! このアレクシスに騙しは通用しないぞ!」

 

 振り返ると、暗闇の向こうから男女が現れる。男は幼い表情の上に怒りの色を浮かべながら刃を女に向けにじり寄る。女の容姿、亜麻色の髪に三つ編みという情報が見て取れるとそれはエルザであるということが直ぐに判ったのだった。

「エ……エルザ――」

「お兄ちゃん……!? お兄ちゃん!」

 突然スルヤが大きな声を上げて駆け出す。スルヤが走っていった方向、それは金色の髪を後ろに束ね剣を構えている、スルヤが兄と呼ぶ人物の元であった。

「スルヤ……!? どうしてここへ……!」

 スルヤの兄は目を丸くしながら自らの妹の姿を見つめる。スルヤは、ようやく出会えた実の兄に腕を大の字に広げ自らの身体を彼女の兄の脚へと押し付ける。

「……似ていると思ったら、やっぱりスルヤちゃんのお兄さんだったのね」

「何が……どうなって……」

 スルヤの兄は膝を折りスルヤに近い目線になるように跪く。するとスルヤは彼の胸に顔をすり寄せ甘える。

「お姉ちゃん! やっぱりお兄ちゃんはここに居たんだね!」

「ええ! ……どう? この状況になっても私があのイルムヒルデと手を組んでいるように見える?」

「……! も、申し訳ない……!」

 スルヤの兄は手に持っている剣を床に放り投げ自らの失礼を詫びる。その様子を見たエルザは彼と同じように跪き、優しく彼を諭す。

「……何か、深い事情があるようだね」

 エルザたちの間に歩み寄り彼らの会話に参加する。僕が声を掛けると三人はこちらを向き直った。

「僕はあああああ・ツェデニアス。あなたがスルヤちゃんのお兄さんだね?」

「え、ええ! 私はスルヤの兄、アレクシス・マルシャン=アルビエです。先程は失礼な態度を取り、とんだご無礼を……」

「いいのよ、お兄さん。私はエルザ・スティンベル。スルヤちゃんと同じ魔術師よ。もっとも、スルヤちゃんの方が格上だけどね……。そして――」

「そして私がこのじゃじゃ馬娘の父、ヘラクレス・スティンベルだ。以後宜しく頼む」

 背後から声がして振り向く。そこには腰を叩き痛みに顔を滲ませたヘラクレスがこちらへやって来ていた。

「それでだ……アレクシス、と言ったか。大筋の話はスルヤから聞いている。君もフィッデル王国からやって来て賢竜と和睦するためにここへ来たと聞いているが……本当かね」

「……はい。聖戦の影響もありガハルト国だけならず、徐々にフィッデルにも影響が出始めています。国王陛下はそれを案じて、賢竜が棲むこの北の寺院を目指してやって来ました。その途中で西の寺院を目指していましたが……そこにある聖なる力を秘めた宝玉が何者かに――」

 アレクシスは何かを感じ取ったようで、辺りを警戒しながら見渡す。それに誘発するようにどこからか退屈そうな声が同時に聞こえてきた。

 

「――随分と長いお話をするのね……もう少し楽しいお話なら退屈しないで済むのだけれど?」

 

「――! この声は……!」

 聞き覚えのある声に反応してスルヤ以外の全員が辺りを見渡す。すると、崖の上から気怠そうにこちらへ歩いてくる一つの影が視界に入る。その影に見覚えがあり一瞬場の空気が張り詰める。

 見覚えのある影の正体。それは東の寺院で遭遇したイルムヒルデ・リヒター・ド・ランジェニエールであった。

「イルムヒルデ……! また君なのか……!」

「あら、覚えていてくれるなんて光栄だわ、お兄さん。……でもその「また」というのが頂けないわね」

 イルムヒルデはつまらなそうな表情をしてこちらを睨みつける。ふと足元を見ると、初めてイルムヒルデを見たスルヤは怯えた表情を浮かべて僕の脚にしがみついていた。

「なんだか人が増えて賑やかそうね。みんなこのアッハゲルト目当てなの?」

「……君が一番解っているはずだ。もっとも、僕らの目的は賢竜ではなく君に向かれているとね」

 僕のその言葉に合わせるようにヘラクレスを始めとした四人が僕の身体の左右側に並ぶ。彼らの表情を覗き見ると、各々の瞳には意思と闘志が現れていた。

「あらまあ、怖い怖い……」

「それと、貴様には答えて貰わねばならん事が山ほどある。何故貴様がここに居るのだ? そして賢竜はどこに……」

「……おじさん、おじさん。あれ……なあに?」

 不思議そうにスルヤは天井を指さし答えをこちらに求める。

 

 彼女が指を指した先、そこには――

 

「……っ!? これは……!」

 視界に飛び込んできたもの、それは城壁のような岩を敷き詰めた塊が円錐状に伸びもう一つの大きな岩の塊に繋がっている。注意深く見るとそれらは首と胴体のようだ。

「お目当ての賢竜……アッハゲルトはそこにいるわ。尤も、今は仮死状態だけれどね」

「……! やはり、あの時に貴様は……!」

 何かを思い出したようにアレクシスは怒りとともに言葉を発する。

「お兄ちゃん……?」

「……。私がここへ辿り着いた時、賢竜に何か術のようなものを掛けていたな。一体何をしたんだ……!」

「そうねぇ、私が掛けた呪いが解け始めていたから……かしら。こんなに早く解けるとは思っていなかったし、貴方たちのようなお邪魔虫も出てきたしで色々計画が狂っちゃったけれど」

「呪い……。さては、貴女は賢竜と手を組んだと言ったけれど……本当は――」

 エルザが何かを言いかけた時、僕の側に居たスルヤは突然駆け出し身体一杯に両腕を広げる。次の瞬間、何かが弾き飛ばされる音とともにスルヤは反動で後方へと弾き飛ばされてしまったのだった。

「! スルヤ!?」

「……あら、勘の良いお嬢ちゃんたちだこと。残念だけど、勘の良い子は嫌いよ」

 イルムヒルデはそう言うと、東の寺院で見せた姿を再び僕たちの前に現す。蝙蝠の羽根が生え、悪魔という言葉が似合う姿へと変化していく。

「ラスボスはイルムちゃんか。前よりHPが上がってる……強くなってるんだろうな」

「さあ、誰から相手してくれるのかしら? お兄さんか小さくてかわいいお嬢ちゃんかしら。それとも自らの事をコケにされて逆上したお坊ちゃんかしら?」

「……望むならば、私が相手してやる!」

 イルムヒルデの言葉に触発され、アレクシスは顔を赤くしながらイルムヒルデに向かって突進していく。

「これ! 感情任せに踏み込んではいかん!」

「そうよ。唯でさえ、貴方たち人間は……脆く壊れやすいというのに――」

 感情に任せイルムヒルデに向かって突進していくアレクシス。剣の柄を両手で握り持てる力を全て剣に託す姿を見ると如何に理性を失いかけているか伺うことが出来た。まともな構えを取らず力の掛け方が定まっていない剣身は大きく首を振り揺れていた。

「であっ! はああっ!」

 下方向から斜めに大きく剣を振るアレクシス。身体の鍛えはしっかりとしているようで剣の行く方向に体捌きは左右されることはなく、イルムヒルデが攻撃をかわした後も剣身を翻して真っ直ぐに狙いを定め目標に向かわせる。それでもなおイルムヒルデは何食わぬ顔で攻撃を紙一重の差でかわし続けていた。

「すげえ、兄ちゃんの特殊技……ゲージ消費が少ない代わりに連撃するのか。しかし当たらない……」

「くっ! 大きな……お世話だッ!」

「そうよぉ、私に当たらないと何の意味も無いじゃない」

 かわし続けているイルムヒルデは途端に屈んで姿勢を低くする。すると、目標を失ったアレクシスの連撃が止み立ち止まる。

「! アレクシス!」

「本当に困ったさんよね。脳筋熱血さわやか馬鹿っていうのは……!」

 勢いがついた身体を急停止させたことでアレクシスの身体は大きくイルムヒルデが居る方向に傾き前のめりになる。その様子を見たイルムヒルデは間合いを見計らって彼の方向に向かって身体を急上昇させる。

「あっ……がっ……!?」

「剣だって、使う人が上手じゃないと泣いているわよ……?」

 イルムヒルデは自らの肘をアレクシスの顎目掛け一撃を与える。短い叫びとともに彼はよろめき剣を握っている手が緩み、アレクシスの手元から剣がずれ落ちる。イルムヒルデはそれを見逃さず、地面に落ちる前に剣の柄を掴み構える体勢に入る。

「敵に弱点を露呈させるなんて、痛恨の……いえ、愚かの極みね!」

「――!」

 そう言葉を吐き捨てると、イルムヒルデは剣を払いアレクシスの腹部を目掛けて優しく撫でる。音もなく剣が僕らに姿を見せると、次の瞬間にアレクシスは腹部を抑えて呻き声を上げた。彼の足元を見ると血の滴が零れ静かに彼の血液が溜まっていたのだった。

「お……お兄ちゃん……!?」

「知性の欠片も無いのはお呼びじゃないわ。さっさとそこを退かないかッ!」

 イルムヒルデは自らの身体に倒れこむアレクシスに対して罵倒を浴びせ、自らが加えた切り口に蹴りを入れて力を失ったアレクシスの身体を引き剥がす。

 その衝撃を立て直すことが出来ずにアレクシスは地面に倒れ込む。その光景を見たスルヤは傷ついた兄目掛け走りだす。スルヤがアレクシスの身体を揺さぶると、アレクシスは低い呻き声をあげながら痛みに悶えていた。

「ふむ……。婦人がむやみに人を蹴飛ばすとはな、品がなっていないのではないか?」

 ヘラクレスは自らの戦斧を握りしめながらアレクシスと変わりイルムヒルデの前に立つ。東の寺院でイルムヒルデにあっという間にやられてしまった事もあり、彼の瞳は好戦的な色に染まっていた。

「あらおじ様、ごきげんよう。今回は周りに水がなくて残念ね」

 皮肉るように言葉を吐き捨てるイルムヒルデ。そして二人は因縁深そうに自らの前にいる敵を睨みつけて動く気配を見せない。

「……。この戦い、僕は負けるわけにはいかない……国のためにも。そして、何よりこの戦いで命を落とした父さんの為にも……君には、負けられないんだ!」

 僕が放った言葉にエルザとヘラクレスに緊張が走ったのを感じ取る。賢竜との争いに関する和睦を結ぶために参加をした今回の旅は、絶対に失敗は許されない。そうでなければ父は喜んでくれないと考えた結果だからだ。

「……ふうん。お兄さんにどんな複雑な思いがあっても、私には関係の無いことだわ。誰が死のうが生きようがどうでもいい。私を突き動かすのは――」

 アレクシスの剣を構えて力を込めるイルムヒルデ。顔をあげた形相は、少女のものと言うには程遠い悪魔の様な険しさが顔一面に広がっていた。

「――憤りと、復讐。それしか無い!」

 イルムヒルデは悪魔の形相のままこちらへとやって来る。あまりの速さに驚き咄嗟に身体が動き出す。彼女の速さはまるで、自らの言葉を置き去りにしているかのようだった。

「ぬんっ!」

 突進してきたイルムヒルデの身体を大きな戦斧で抑えこむヘラクレス。その様子を見たイルムヒルデは顔を大きく歪ませ抵抗しようとする。

「くっ! 退け! 禿頭!」

「ふふん、力比べなら負けぬぞ!」

 ヘラクレスはそう言うとイルムヒルデを押さえつけている戦斧を強く地面に叩きつける。それを逸速く察知したイルムヒルデは綺麗に受け身を取り戦う構えを取る。

「――無限の炎(コーカイム)!」

 間髪を入れずにイルムヒルデに対して炎が投げ込まれる。振り向くと、そこには瞳に涙を浮かべたスルヤの姿があった。

「お兄ちゃんを……お兄ちゃんを、こんな姿にして! 許さないんだから!」

「……みんな、アレクシスさんの治療は私に任せていいから……戦って!」

 後方で傷ついたアレクシスを抱えるエルザの姿も視界に入る。彼女もまた力の篭った眼差しをこちらに向けている。

「高等魔術……只者じゃなそうね……? ……ああ、むしゃくしゃする、むしゃくしゃするッ! 純粋な餓鬼を見ているのは耐えられないわ! 血反吐が出そうだわ……!」

 青筋を立てて頭を掻きむしるイルムヒルデの剣幕に凄味が増す。すると彼女は纏っていた妖気を剥き出しにして体勢を整えている。いつ暴れだしてもおかしくない状態だ。

 いや、もう既に暴れだしているのかも知れない。火蓋は音もなく切って落とされたのだった。

 

 ◆

 

「――あはは……ッ! アハハハハハッ! 愉快だわ! こんなにも人間は脆く崩れ去ってしまうなんてね!」

 痛みが身体を支配して言うことが効かなくなって地面へと倒れこむ。顔をあげると、こちらの軍勢の誰一人してイルムヒルデに立ち向かうこと無く地面にひれ伏せていた。ただ一人二本足で立っている者、そこには高笑いするイルムヒルデの姿しか無かったのだった。

「どう? お兄さん。一人の女に打ちのめされる気分は? みっともない顔をしているわよぉ、ぐうの音も出ないかしら?」

 イルムヒルデはそう言いながら僕の顔を踏みつけながら笑い続ける。疲れ果てた身体にはまともな思考など持ち合わせてはいなかった。

「……全滅……いや、そう言うにはまだ早いか」

「……そうよ、まだ……諦めるには、まだ早いわ……!」

 イルムヒルデの背後から声が聞こえ僕らはその方向に注目する。注目した先には傷ついた身体をやっとの思いで持ち上げているエルザたちの姿があった。

「あら、まだ生きていたの? とっくに死んだと思っていたのに」

「このくらいで音を上げる我々ではない……成し遂げられていない目的を、約束を果たすまで簡単に逝くことは出来ぬ!」

「このアレクシス、腕がもげようと戦い続ける。時世を卑下する貴様とは違う!」

 アレクシスのその言葉にイルムヒルデは眉を吊り上げ、顔に乗せていた足を下ろすと静かに彼らの元へ歩み寄る。

「……黙っていれば言いたい放題ね。人間の分際で……小賢しいわッ!」

 怒りを露わにするイルムヒルデはその言葉を口切りに地面を強く蹴り走りだす。目標はもちろん、目の前に居るエルザたちであった。

「――ま……まずいっ……!」

 彼らの危険を察知して疲弊した身体を釣り上げる。しかし、思うように身体は動かずイルムヒルデの速さに追いつかない。これではエルザたちに危害が及んでしまう。

 

 ――そう悔やんだ時だった。

 

「とおおっ!」

 大きな雄叫びとともにイルムヒルデの身体が少しだけ宙に浮く。突然の自体に目を丸くしていると倒れるイルムヒルデとともに倒れこむスルヤの姿があったのだった。

「ぐふっ……!?」

「このっ! このっ! お兄ちゃんたちをひどい目にあわせて! スルヤ怒ったんだから!」

「――ッ! この……退け!」

 イルムヒルデは馬乗りするスルヤの首根っこを掴み、エルザたちの方へと放り投げる。悲鳴とともにスルヤはエルザたちの元に投げ込まれ、同時にエルザたちは彼女を受け止めようとしてなだれ込んだ。その始終を見ていたイルムヒルデに僅かな好きが生じ、それに素早く反応し身体をイルムヒルデの元に向かわせる。足は縺れそうになり視界もぼんやりとしていたが、何故か倒れこむことは無いのであった。

「はああっ!」

「! くそっ――」

 イルムヒルデがこちらに気付く前に彼女の懐に飛び込む。剣を彼女に向けたまま奥深くへと踏み込む。すると、思いの外容易く剣はイルムヒルデの腹部に潜っていったのだった。

「ぐっ……!」

 血潮が湧き出る自らの腹部を見つめながらイルムヒルデはこちらの腕を引き剥がし僕を弾き飛ばす。地面に倒れ込み体勢を立て直すべく素早く立ち上がる。立ち上がりイルムヒルデの方を見ると、自らの腹部に突き刺さった剣を引き抜き痛みに顔を歪ませるイルムヒルデの姿があった。

「おのれ……許さぬ、許さぬ……!」

 もはや理性を失ったような険しい表情を浮かべ吠えるイルムヒルデ。それに比例するように彼女を取り巻く妖気も強くなっていき力を肌で感じる。そして、イルムヒルデはもう一度こちらに攻撃を仕掛けようと体制を整え走りだす。すると――

 「――無限の炎(コーカイム)……!」

  イルムヒルデの背後から突如炎が吹き出て彼女の身体を包み込む。身体に纏わり付いた炎を薙ぎ払おうとするが、動くほど炎は彼女の身体を侵食し空白の部分を次々飲み込んでいく。

「おお……! 効いてるみたいだ! 行っけー!」

 今までに無いほど力強い声が聞こえてくる。そして、身体が勝手に――いや、身体は自然に剣を携え炎に包まるイルムヒルデへと向かっていた。

 

「――だあああああッ!」

 

 その雄叫びに気がついたイルムヒルデは熱さに抗いながら咄嗟に上半身を主として守備の体制を取る。だが、彼女がそうした行動を取るということを予測していた脳と腕は動じること無く歯が向かう先を静かに変更する。刃が向かう先、それはイルムヒルデの胸部であった。

「――でッ……!? あぐぁ……ッ!」

 剣が雪崩れ込みイルムヒルデの懐に深く食い込む。動かなくなった剣から目線を外し彼女の顔へ視線を移すと、目を血走らせ血反吐を垂らす姿があった。

「……。チェックメイトだ」

「こ……っ、小僧……! 貴様ッ――」

 胸部を貫いてもなお抵抗を見せるイルムヒルデ。力を振り絞り握る拳を高く掲げこちらへ振り下ろそうとしている。しかし、僅かに拳が振れただけで何も起こることはなく、掲げた拳は力なく堕ちていった。なぜなら、こちらが向けた刃の他に幾つもの刃が彼女の身体を突き抜けていたからであった。

「無駄な抵抗はよせ。……勝負は決まったのだからな」

 僕とヘラクレス、そしてアレクシスはイルムヒルデを間挟みにして彼女に留めをさす。そうして暫くの沈黙の後、イルムヒルデは動かなくなったのだった。

「……。終わったな……あああああよ」

「……。……ええ。まさか、こんな展開が待っているとは思いませんでしたが――」

 一息ついていた時、握る剣に違和感を覚えて剣身を見る。剣身に垂れていた血液の落ちる速度が徐々に早まり、剣身から零れ落ちるほど速くなっている。それどころか、僕ら以外の苦しそうな息遣いまで聞こえてくる。まさかと思い顔をあげると、そこには――

 

「……っぶ、ふぶ……っ! 長い月日を経て……手に入れた……肉体が……!」

 

「―!? い、生きてる!? 父さんたちの攻撃を受けてもまだ……!?」

 「……っ……ふん……。また、長い眠りにつかねば……ならないのか……!」

  息も絶え絶えにしながらイルムヒルデは僕の顔を睨みつける。

「喜べ……再び安寧の時が来るのだ……。少なくとも、五万年は過ごせるだろう……。だが、復讐の時が……再び訪れることを、忘れないことだ……! 余は……目的を果たすまでは朽ち果てぬ……!」

 そう言葉を残してイルムヒルデは瞼を閉じる。彼女が倒れこむように力を抜くと、突然イルムヒルデの身体が液化し泥のように解け始めたのだった。

「なっ――! 何だ……!?」

 驚きのあまり武器を持つ全員が自らの武器を手放す。地面に叩き付けられた武器たちは固い土にぶつかり跳ね返る。その時にはもうイルムヒルデだった泥は既に消え去っていたのだった。

「……すごい、とけちゃったね……」

 全員が沈黙する中、スルヤだけが純粋に目の前の光景に驚いていた。

「……何はともあれ、使命を全うすることが出来た。とりあえずここは喜ぶべきだろう」

「……そうですね……なんだか、急に疲れが……」

 突然襲ってきた疲れに身体中の力が抜け腰から倒れこむ。

目的は果たされた。ここまでの苦労が実ったと考えると、感慨深いものが急に込み上げて来たのだった。

「……お疲れ様、あああああ。頑張ったね……」

 ぼんやりしている僕の側へエルザがやって来て座り込む。彼女が僕に語りかける口調はどこか穏やかで優しいものであった。

「ありがとう……。エルザは大丈夫だったかい?」

「うん。だって、あああああたちが一生懸命に戦ってくれたおかげだし、ね。……暫く見ない内に頼りになる男になっちゃって……。ずるいや……」

 何気ないエルザの言葉に思わず反応する。ふと彼女の表情を見ると仄かに頬を染めてはにかんでいた。

「……エルザ?」

「……。あ、あああああ……あのね、私実は――」

 

「スキップ」

 

 主のつまらなさそうな声とともに再び目の前の映像が目まぐるしく変化していく。僕には戦いの余韻にすら浸らせて貰えないようだ。

「あ……賢竜との話は……! 速すぎて分からないですよ!」

「ああ、もうクリアか。んー、ゲームの難易度としては普通くらいだけど……もう少しやりこみ要素があってもいいかなぁ……っと」

「……。まあ、いいか。後からエルザたちに話を聞こう」

 今はようやく終止符を打てたのだから戦いの事は一旦忘れておきたいのだ。再び以前のような暮らしが訪れる、そう思うと心が軽くなり喜びを感じることが出来るのだ。だが、また戦いに駆り出されるかも知れない。その時は喜んで引き受けたい。なぜならこうして戦いを通じて何かを掴めたものがあったからだ。この気持ちはきっと父と同じことだろう。この次の戦いも自らの力を尽くしたい。

 ただ、次に今日みたいな戦いがあるのならば、どうしても叶えたい願いがある。それは――

 

「できるなら……もう少しきちんとした名前を貰えるといいなぁ……」

 

 戦いを終えた者への賛美歌を聞きながら、そう切に願うのであった。

 

 

 

 

 

 

聖戦の勇者「あああああ」(完)

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聖戦の勇者「あああああ」Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ・Ⅳ/2014.3完結作品(2017.2加筆修正)

 

 

●あとがき

はい。如何だったでしょうか。久しぶりに長いお話であります。

今回のお話は百合要素もなく、苦手だったファンタジー世界克服計画のもとに完成させたお話です。

 

このお話は「とあるテレビゲームの主人公の視点」の一人称視点のお話であります。それゆえ主=ゲームプレイヤーという設定になっています。ところどころメタ発言や下品な発言をしてしまうのはそのせいです。誰かさんにそっくり(すっとぼけ

 

内容としましては今でも個人的にはお気に入りです。ただ、三年以上前となるとまだ文章に甘さが目立ちますね。一人称だから目の前のことしか判らないにしても視野が狭すぎるような気がしますね。だけど主人公・あああああの未成年である鈍感な気持ちと、かなりというわけではないが腕の立つ剣術・戦術を表現できたかなと。今でも戦闘ものは苦手ですが、頑張って試行錯誤したように記憶しています。

 

ちなみに彼らのゲームは架空のものです。なのでタイトルもいまいち決まっていません。是非。読者さんそれぞれで素敵なタイトルを付けて頂いて妄想してみるのもまた一興かなと思ってみたり。

 

では、今回はこの辺で。

 

著作:雨宮 丸/2014 - 2017