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趣味のおもちゃばこ

メタル・ロックと百合とたこやきとお話を書くことが好きな私、雨宮 丸がつぶやく多趣味人間のブログです。

紛擾のトーヴァルニヤより Ⅱ -ゼスス ヌイ ソヴォルダンテ- 【R-18】

『……友なんかじゃない。一度服従を誓った主だよ、イザベレは……』

 

※ご注意!

・このお話は性的な表現が含まれています。未成年の方の閲覧は遠慮願います。

・このお話は残酷的な表現・暴力を振るう表現が含まれています。

・このお話は人によって不快を与える表現が含まれ、強く糾弾している箇所があります。

 

以上の点を了解した上で閲覧して頂くようにお願い致します。

それではお楽しみください。

***************************************

 神は共存を望みて我らにこの土地を与え、不満なきよう同様という慈しみを我らに与えた。それらに感謝し豊かに過ごすことでいつまでも我々を見守り歌を奏でることだろう。神が囁く幸福の音よ、我らと共に……。

 この言葉はまだ発見されていなかった土地を人間たちが見つけ、死ぬまで過ごそうと決めた土地で営みを約束する決意を表した言葉である。そしてこの言葉とともに、北の名もなき土地に「ガベレア」と名付けられ、晴れてトーヴァルニヤ帝国の一地区として産声をあげたのだった。

 トーヴァルニヤ帝国北部の土地・ガベレアは山々に囲まれた土地であった。トーヴァルニヤ帝国は元々クァレダ地方という北部の位置に存在していたこともあり死者が出るほどの豪雪地帯だ。山岳に囲まれているガベレアは標高も高いということもあり帝国一の雪国であって春を過ぎるまで氷点下より気温が上がらないという低温地帯でもあったのである。

 人々が開拓に訪れた時は一面銀世界で、瞬きをすることさえ苦しいと言い、自然の脅威に開拓に訪れた五百を数えるトーヴァルニヤの開拓民のおよそ三分の一が命を落としたという厳しい環境の中にあった。しかし開拓する前からガベレアはトーヴァルニヤの皇都・サーデンと比べ物にならないほど空気が澄み、僅かに溢れ出した湧き水を口に含むと驚くほど爽やかでその水を初めて口にする者全てがその水の口当たりに感嘆の声を漏らしたのだという。

 更にその土地は寒さで長らく開墾が行われなかったことから、植物や動物の育ちが良く衣食住を賄うための高品質な物が獲れ、外交が盛んだったトーヴァルニヤの輸出品の大半を占める物がこのガベレアの恵みで採れたものなのであった。また枯れた草木を肥料として土地が肥えていたため、気温が氷点下を上回り作物を育てれば豊富な栄養と誰もが美味と口を揃える作物が穫れた。トーヴァルニヤが「現世の楽園」と称される所以は、このガベレア無しには語れない。そう讃えられるほどガベレアは厳しい環境の中でも豊かな日々を過ごしていたのである。

 しかし、その人々が住み始めたガベレアの地には既に先住民が居たのだ。その先住民たちは人々がガベレアを発見するよりもずっと前に見つけており小規模の里を築いていたのである。人々よりもその地に住んでいた者たちは「トルニスス」と言う名の種族であった。

 人々が初めてトルニススと言う種族を目にしたのは開拓してからおよそ五十年後のことである。最初に姿を現したトルニスス族の少女は、ガベレア東部の「ハントレス村」付近の山の中で道に迷い寒さと飢えで死を迎えようとしていた一人の人間の青年を見つけて、持ち合わせていた薬草を青年に与え近くの洞穴へ運んでは怪我をしていた彼に手厚く介抱をしたのだという。その施しの甲斐あって青年は回復し彼が目を覚ました時トルニススの少女は意識の戻った青年を見てとても嬉しそうな表情を浮かべたと言われている。

 その後青年は助けてくれたトルニスス族の少女に礼をしたいと、彼の住むハントレス村へと招待した。しかし青年は行き倒れていたために現在位置が分からず、招待したくても招待できない事に悔しさを浮かべていると、トルニススの少女は青年が口にした村の名前を頼りに彼の手を引いて重たく湿った春の雪が敷き詰められた森の中をどんどん進んでいったのだそうだ。するとどうしたことだろう、少女に連れられ辿り着いた場所は青年の住む村だったのである。その様子を見た青年は「こんなにも迷うこと無く進んで村へとたどり着くことが出来るなんて、きっとこの子は森に住む妖精に違いない!」と驚きの言葉を述べ、それが今日までトルニスス族が昔からガベレアの地に住んでいる根拠の一つとされている。

 青年は自らが住む家へ招待し、彼の両親とともに改めて助けてくれたことへの感謝の言葉とそれらの礼として料理を振る舞ったのだそうだ。それに対しトルニススの少女は、トルニスス族の特徴である褐色肌の顔に浮かぶ左右異なる瞳の色を瞼に隠して笑顔で施しを受けた。そしてそろそろ行かなくてはならないと、トルニススの少女は名残惜しそうに少女を見つめる青年たちに薬草を手渡し、青年の両手を握り少女の胸に寄せて「アル クスカヌッデ、ウイ カヌウダンテ! アッデ、コンヌーイ。シャ・ラ・シャッサ……(こんなにも私を歓迎してくれて、本当にありがとう! それじゃあ、さようなら。きっと、また会えるわ……)」と、帰る間際で初めて口を開いたのだ。聞き慣れない言葉に三人は目を白黒させていたが、それでも少女は笑顔を絶やさず、青年にした手を握る行為を全員に行ってそのまま村を後にしたのだという。

 それからと言うもの、その青年が助けられた後からトルニスス族は頻繁に青年が住む村に訪れては薬草を分けに来ていた。それには青年を助けた少女の他にも何人かやって来ていた。青年に施した薬草も分けて歩いていたが、その他にも薬草を調合し呪文をかけて、効能を強くした魔法の薬と呼ばれた物も手渡していたのだそうだ。その場で呪文を唱えるために、村人たちには彼女らが魔法を扱えるという事が知られ、村人は皆その薬の効きの良さに驚きと喜びの声をあげたのだった。その噂は、青年の居た村の隣、そのまた隣と、彼女たちの噂は瞬く間に広がっていくのだった。

 また、村を訪れるトルニスス族たちは皆容姿端麗で、その愛嬌の良さもまた評判を呼び言葉が通じにくいながらも他の地域からも噂を聞きつけた人々がやってくる事もあり、彼らと交流を深めていったのである。

 そしてこれは後に判ることであるが、トルニスス族では独自の文化を持ち、使用する言葉も独自に発達していったのだ言われている。その為、人間たちが使えない魔術も扱え、非常に知能の高い種族とされた。魔術を扱う者たちによると、原因は明らかになっていないが、ガベレアにはとても強い魔力が漲っており、水が地面を突き破るように魔力も噴き出してくるのではないか。そう言われるほど魔力の強い土地であり、魔術を扱う者全員が一度は訪れてみたいと口を揃えるのである。そういった事情もありトルニスス族は病で困る者や彼女たちが行える事全てを可能な限り施して和気藹々とした生活を送り始めた。

 

 ――そんな麗しい生活が永く続けば……と、誰もが願い続くはずだった。

 

 それはある日の事だった。北部の土地ならではの強い風雪に見舞われ、誰もが雪の日のガベレアへ訪れない中たった一人その地を目指していた者が居た。その人物はハントレス村に向かう途中の鮮やかな金色の髪を靡かせたトルニスス族の少女であった。天気が回復するどころか次第に強まる雪の中を彼女だけが歩いていた。彼女の名はアーリティット。アーリティットは木々から吹き付けるような天候の悪さでも怯むこと無く綺麗に編まれた籠を手に目的地へと目指していた。その籠の中には沢山の薬草と身体を温める効能を持つ薬、滋養強壮がつく食材と寒い時期にこそ効果があるものを携え黙々と歩いていたのである。不思議な事にアーリティットは寒さには強かったようで難なく森の中を進んでいた。

 その途中、アーティリットに突風が襲いよろめいた拍子に躓き地面へと倒れ込んだのだ。倒れた拍子に携えていた籠の中に入っていた薬草たちを地面へ散らしてしまいアーティリットがそれを集めていると、偶然通りかかった男が手伝うと行って一緒になってかがみながら薬草を集め始めたのである。全てが集め終わりアーティリットは笑顔を男に向けて何か礼の物を渡そうとして籠の中を探った。――だがアーティリットはその礼を渡すことは永久に無かったのである。

 そしてその答えは翌日、同じトルニススの一族たちによって見つけられる。アーティリットが見つけられた場所。それは、高い崖のすぐ真下。そしてそこには白い雪が敷き詰められているはずなのに、その崖の下だけは赤い斑点が幾つも飛び散り中心地点には血溜まりと、身ぐるみを剥がされ全裸のまま放置されたアーティリットの変わり果てた姿が見つかったのだった。

 アーティリットが発見された時には既に意識はなく、激しく抵抗したと思われる傷が幾つもあった。腹部には何度も刺したような傷跡があり、金色の髪からは赤い筋が地肌から流れ、既に抜け殻と成り果てたアーティリットの表情は固く悲しみを浮かべたような――動かないにしても冷たい眼差しが色濃く浮かんでいたのだという。

 その姿を見た者を始め、その事を知らされたトルニスス族全員が深い悲しみに暮れ彼女の亡骸をトルニスス族が里を築く「カンニダル村」へと運び込まれ、アーティリットの無念を偲んで厚く葬ったのだった。当初は皆視界が悪く頭を打って死んだのだろうと言っていたが、実際にアーティリットの亡骸を見て疑問の声があちらこちらから草木が生えてくるようにあげられた。やがて時間が経つに連れて疑問の声が確信に変わり、悲しみから怒りへと徐々に変わっていく。

「アーティリット ヌイ カフ ソデイナール アッサ……。インナ、セル カンニダル ヌイ ナンナ シャンフュエリック エスカ。……ク サドルテ ナンナ……ナンナンナ……(これは明らかにアーティリットは他殺で命を落とした。我々を知るのはこの地域を知る者しか居ないはずだ。……さては……」

 アーティリットの死の謎を追い続けて、答えに結びつく場所をトルニスス族全員が静かに視線を向け銷魂(しょうこん)の色が蔓延った視線を向ける。その視線の先には、穏やかに営みを続ける人間たちの生活する場所――こうして決裂への道は静かに歩まれていったのであった。

 後にトルニスス族たちは怒りを漂わせながら人々へと歩み寄っていき――アーティリットの報復をすべく薬草を投げ捨てて飛び込んでいったのだった。

 証言者が少ないため真たる事は伝えられないものの「あの愛嬌のあった少女たちの姿は消えて、恐ろしい魔術を使って人々を襲った……! あ、あれは妖精ではなく悪魔だ……!」そう言って証言者は皆頭を抱えて身体を震わせたのだという。

 この一件は後の時代で他の国から来たものの犯行と判明したが、それを知らされた時には既に遅く、トルニスス族と人々の啀み合いは止まることはなかったのである。

 そして後世にこの事件は、トルニスス族が村人たちに放った第一声を元に事件名が付けられた。

 

「ランツァ……! リーレ デ ランツァンテ!(返せ……! あの子を返してくれ!)」

 

 この争いはガベレア史上一二を争う物となり、トーヴァルニヤ帝国崩壊を境にトルニスス族たちは人間たちとの縁を遠ざけていく。

 ――リーレ・デ・ランツァンテの報復。もはや神は、その地に幸福の音を囁く事は暫く無かったのだった。

 

 

「……酷い。いくら昔の争いの火種が燻っているとは言え、こんなのって……」

 灰色の重たそうな雲に覆われ今にも雨が降り出しそうな景色の中、女は一人大木の前に膝を折って目の前の現実に嘆く。彼女の名はイザベレ・ハーン。魔力が漲るこの土地に惚れ込み、研究を目的として旧トーヴァルニヤ国外から移住してきた魔道士である。彼女は数キロ離れた街から買い物した帰りで肩には街で購入した日用品が入った袋を肩に下げながら歩いていた。その途中、今イザベレが留まっている所に何かが横たわって、彼女はそれが何か気になって覗いたのだ。

 彼女が覗いた先にあったもの。それは周りに少量の血飛沫と、裂かれた腹の中から腸(はらわた)が飛び出し、故意的に殺められた少女の姿。褐色の肌を持つ小さな身体は既に動くことはなく、少女の亡骸の回りには手持ち籠とそれに入れられていたと思われる果物が散乱し、少女の瞳は見開きになったまま光を失っていたのである。

「……。左右違いの瞳……噂が正しいならこの子は間違いなくトルニスス族の子……。実物を見るのはこの子が初めてだけど、初めて見る姿がこんな場面だなんて……」

 荷物を下ろし、濃い灰色のケープと赤茶色の長い髪を揺らして少女の目元をイザベレの手で翳す。イザベレが手を離すと開いていた瞳は瞼に隠されイザベレは持ち合わせていた防寒用の布を少女の腹部を主として身体に被せる。それからイザベレは沈黙を持ったまま静かに両手を組んで偲びの意を現したのだった。

「きっと果物を取りに来た帰りに襲われてしまったのね……。トルニスス族が自ら襲うなんてリーレ・デ・ランツァンテの報復以来行われていないと言うのに……どうして我々はこうも惨たらしい形でしか報う事が出来ないのかしら……。彼女たちが縁を遠ざけてしまうのも理解できるわ」

 イザベレは研究を目的としてガベレアへ移り住んで一年ほどが経つ。彼女は元々厳しい修行の末身体に魔力を身に付ける、いわゆる魔術師として日々を過ごしそれを用いた稼業で生計を立てていた。さらにイザベレはこの世界で魔法を用いる術者を指す魔術師の上級の術者・魔道士であるのだ。故にイザベレはこの魔力が漲る土地に訪れた時はあまりの力の強さに驚き、それからと言うもの彼女の研究にも力が一層入り充実とした日々を送っている。

 だがその一方でイザベレはこの土地で暮らすことに息苦しさも感じ始めている。それというのもトーヴァルニヤ帝国が崩壊し四つの国に統合分類されたガベレアでは連日、ガベレア共和国直属の兵隊たちが異常が無いか頻繁に警備して歩いているのだ。それだけであれば何も問題は無いのだが、イザベレは「警備するにしてはやけに殺気立っている……まるで何かを奪うような眼差しを持って民を睨んでくる」と些かの恐怖を覗かせて身を縮こませながら窮屈な生活を送っているのである。

「まあ、私もある程度魔道士として名前を売っている居るわけだから道草をしない方が良さそうね。……この国の兵の仕業では無いのかもしれないけれど否定も出来ない……この子がそんな風に言っている様に思えるわ……」

 再び荷物を携えイザベレは自宅を目指して歩み出す。だが彼女は歩んでは止まりを繰り返し一向に前へ進もうとしない。大木の前で息絶えている少女が気にかかるのだろうか――いや、どうもそう言うような動きではない。イザベレは大木から少し逸れた草むらをしきりに見つめていたのである。

「……。誰かそこにいるの? 私は逃げ隠れするような咎人ではない……ましてや兵に付けられる覚えもない。顔も知らぬ者に刃で襲われる筋合いは無いわ」

 荷物を彼女の側に置いてイザベレはどんなことにでも対応出来るように身を構える。しかしイザベレが忠告したにもかかわらず草むらからは微かに葉が擦り合わさる音しか聞こえてこない。その様子にイザベレは何かの動物が居るだけだろうと一度警戒心を解いて静かに歩み寄って草むらの中を覗き込んだ。

 ――その時である。

「――っ!? きゃっ……!?」

 覗き込んだ草むらから何かが飛び込んできて、その拍子にイザベレは弾き飛ばされ尻餅をついた。動揺しながら瞼を開けるとそこには四つん這いになって苦しそうに吐息を漏らす人の形をした姿があった。

「……!? 子ども……? いえ、違う……」

「『去れ……私から……私たちから……!』」

「……! カドル語……! 魔術の呪文の元となったトルニスス族の言葉……もしやこの子は……」

 カドル語。数ある言語の中で使用している者がごく少数の言葉の事である。ある程度の文法規則があり単語も存在している物質には皆名付けられている。しかし、この言葉を用いるのはトルニスス族の他にはイザベレたちのような魔術師ないし魔道士のみ。加えて単語の複雑さと綴りの難しさから覚えるのも一苦労と、魔術を学ぶ者は皆口を揃えて言うほどである。

 イザベレはその事が分かると戦う姿勢を止め地面にひれ伏す少女の姿を見つめる。少女は咳き込みながら痛みに悶えながら静かに顔をイザベレへと向ける。顔中が汗ばみ呼吸をするのさえ辛そうに、吐血した跡も隠さずに敵を睨みつける眼差しで佇むトルニスス族の少女の姿がそこに居た。

「酷い怪我……! だ、大丈夫! 私は貴女に危害を加えるつもりは……」

「『……! く、来るな……近寄るな……! うぐっ……!?』」

 焦りの表情を見せて少女は身を退くが、それは酷い咳込みによって遮られる。その咳込みは少女が抑えた手から血が吹き出し一層強いものになっていく。やがて咳き込みが晴れてくると少女は地面へと身体を沈めたのだった。

「大変……! し、しっかりして!」

 暗く厚い灰色の雲が漂う空から遂に雨が降り出す。通り雨になるのだろう、一滴一滴が大きく痛いほど強く雨粒は地面に叩きつけられては砕け散って地面へと消えていく。それは大地に転がっているもの全てに当てはまることで、トルニススの少女の褐色の肌に付いた血痕を洗い流す様に雨粒は砕けていく。

 秋も中頃を越えたガベレアにとってこの雨は雪の降る前の最後の雨となる。その為身体にぶつかって来る一つひとつはとても冷たく素肌に痛みを感じるほどである。その冷たさからまだ意識が残るトルニススの少女を抱えてイザベレは自らの体温を気にすること無く救えるかもしれない命を胸に抱え、まだ遠い帰路を駆けて行くのだった。

 

 

 ここより場所はガベレアの中心都市「トノコ」より西部に位置する森林地帯へと移る。この森はイザベレ・ハーンの自宅兼研究所がある場所である。一人で生活するには十分な木造の小さな小屋で、外見では研究所には見えない様子である。イザベレは突然降り出してきた雨で買い物をしてきた荷物と身体中を濡らしながら自宅へと飛び込んで息を切らせ安堵した息を漏らす。彼女の胸には深い傷を負った少女、このガベレアに長く住んでいるトルニスス族の少女が抱えられていた。

「良かった……まだ息はあるみたい。急いで火を熾(おこ)さなきゃ。それから……傷の手当と何か栄養の付くものを……」

 近くに掛けてあった布を手にイザベレは少女の身体を拭いていく。一通り拭き終えイザベレは自身のベッドに少女を横たわらせる。傷の手当てをしようと少女の服を脱がし怪我の手当をするための道具が入れられた箱から薬などを取り出して手当をしていく。彼女は傷薬も作っているようで薬品のは入った瓶には手書きの薬品名が記されており手際よく処置を施す。肩から胸部にかけて切りつけられた傷跡を包帯で覆い、打撲によって出来た痣を薬品が塗られた紙を貼って患部を癒していく。手で行える処置をした跡、イザベレは少女の身体に触れて呪文を唱えるのだった。

「――トハル ヌイ ドヘリッザ、ソディナール。ク ダンダナランテ(大いなる術よ、命へと変われ)」

 イザベレはトルニスス族の少女と同じカドル語を唱えると、彼女の手からは仄かな光が生まれてその光は少女の身体の中へと消えていく。するとどうだろう、今まで息苦しそうにしていた少女の呼吸は落ち着き始め穏やかな寝息をつき始めたのだ。その様子にイザベレは再び安堵の色を見せたのだった。

「……よし。この状態で眠れば体力はかなり回復するでしょう。……さてと、すぐに食べさせてあげるものはあったかな……あっ、このスープなら栄養も取れるわ。その他にも力が付きそうなものを作ってあげよう。……問題はこの子が目覚めた後ね。トルニススはかの一件から人間たちを嫌っている。でも全員が全員嫌っているというわけではないだろうから……話してみる価値はあるわね」

 イザベレはそう言いながらベッドとは反対にある調理場へと向かい、彼女が食べるために作っておいた料理が入った鍋を取り出す。イザベレは一度鍋の中を確認した後調理用の炉に薪や紙を入れて火をつける。火はたちまち薪に燃え移りその大きさを増していく。その火が大きくなり料理が暖められている間、イザベレは瞳に大きくなっていく火を映して無言のまま立ち尽くしていた。

 リーレ・デ・ランツァンテの報復、イザベレはその一件を思い出していた。その事件はトルニスス族の者が何者かに襲われた末に命を落とした事に怒りを覚えたトルニスス族の一部が起こしたものとされている。一方的に思える殺生が原因で起きた騒乱と言うに等しい出来事。トルニスス族が暮らす場所から一番近いハントレス村、現在ではトノコという街へと発展し大きな成長を遂げた場所が舞台となった。数名のトルニスス族の者が訪れては言葉では例えることが出来ない程の膨大な力で人々が犠牲になった。それに対して人々も抵抗を見せ、トルニスス族は五名ほどであったにも関わらずガベレア王国が誕生してから発足した軍隊全てを投入するという大事であった。その甲斐あってガベレア共和国軍は五名のトルニスス族を捕らえ翌日には処刑、大罪を犯した者たちとしてその首は旧ハントレス村近くの草原のトルニスス族が住んでいるとされた方角へ捨てられるようにして晒されていたのだという。

 それからと言うものリーレ・デ・ランツァンテの報復のような大きな騒動は起きなくなったが同時にトルニスス族は自ら人間たちの元へと赴くことは無くなったのだ。それらは人間たちとトルニスス族による沈黙の合意とみなされ以降それぞれの生活から関係を断った。しかし繁栄し始めた所を破壊された人間たちの恨みの根は強かったらしく、事件の当事者の子、その子の子どもへとその事件は語り継がれ憎しみを植え付けていった。中には「見つけ次第殺しても構わない。奴らは虫けら以下の存在なのだから」と極端な教えを受ける者もいた。そう言う経緯もあって今回のイザベレの一件も珍しいものではない。しかしイザベレは元々異国の人間で慈しむ心が強かった為にこうして傷を負ったトルニスス族の少女を手厚く匿ったのだ。それはイザベレも覚悟の上であったようで、小さく溜息を漏らした。

「……半世紀以上前の事なのに、何故こんなにも窮屈な思いをしなければいけないの……? 神は共存を望みて我らにこの土地を与え、不満なきよう同様という慈しみを我らに与えた。それらに感謝し豊かに過ごすことでいつまでも我々を見守り歌を奏でることだろう。神が囁く幸福の音よ、我らと共に……その誓いはどこへ行ってしまったというの? 本当に……馬鹿げているわ……!」

 頭を抱え理想の土地に根付く忌まわしき現実にイザベレは嘆く。そうしていると考えている内に調度良くスープが煮えてきていて良い香りが部屋一面に広がっていく。

「うん……熱さもいい感じね。それから……」

「『う……うう……?』」

「あら……? もう意識を取り戻したのかしら……だとしたらかなり回復力がはやいわね……」

 後ろの方から聞こえてくる声に気がついてイザベレは振り向きベッドで眠りから覚めようとしている少女の姿へと視線を向ける。少しすると少女は完全に身体を起こし、消炭色の肩まで掛かる髪の毛を持った頭を掻いてまだ釈然としない様な顔つきで目を半分開けたまま瞬きを何度も繰り返す。それを見てイザベレは少女に歩み寄ろうとする。だが、先ほど思い出していた事を再び思い出し歩を止める。そしてイザベレは覚悟を決めて軋みの音を響かせて木製の床の上を歩んでいった。するとその音に少女は気がついて目を見開いき近くの壁まで身を引く。その眼差しには動揺が映り込んでいた。

「大丈夫よ……何も危害を加えたりしないわ」

「『……! あんたは、さっきの……! 何をする気……!?』」

「……いけない、つい他の人と喋るようなつもりで居たわ。私が知っているカドル語で通じれば良いのだけど……」

 言葉の壁を目の当たりにしてイザベレは咳払いを一つして改めてベッドに佇む少女の姿を見て、ゆっくりと言葉にしていった。

「『私は貴女の敵ではないわ。それに、貴女に何かをするわけでもない。……信じて頂戴』」

 イザベレは学んできたカドル語を駆使して自らの意思を少女へと向ける。その言葉を聞いた少女は驚いた、というような面持ちで目を丸めていた。よもや言葉が通じ合う存在など、同族以外で居るとは想像することが出来なかったからだろう。

「『あんた……カドル語が解るの? ……例えそうであっても敵でないことは証明できない……!』」

「……敵、ね。新しい世代の彼女たちもまた人間たちのことを敵と呼んでいる……これは想像以上に深い傷なのかもしれないわ」

 そう呟くイザベレの表情は曇り少女を見つめる視線は哀しみに溢れていた。

「『な……何故、そんなに悲しそうな顔を……』」

「『胸が痛くなるの。人々が誤解を招いたばかりに誤解が次々と生まれて引き返せないものとなっているのだから……』」

「『……。おかしな人間だ。恐れずに話し合いをしようとするなん……て……ぐっ……!』」

「あっ……! 駄目よ、完全に傷が癒えない内に動いちゃ……!」

 突然苦しむ声とともに少女は傷口を抑えながら蹲る。それを診てあげようとイザベレは少女の側へ近寄る。先ほどは一歩近付く度に警戒の色を強めていた少女も今ばかりは警戒を露わにしていなかった。

「『……この手当はあんたが……?』」

「『そうよ。そうでなければ貴女も今頃……』」

「『……どうして墓穴を掘るような真似を……。私たちトルニスス族と人間たちの間では未だ嫌い合っているというのに、こんなことをしてしまえばあんただってただでは済まないはず……それでも私を助けたことに価値が?』」

「『……価値があるなしではなく、一人の人間として助けたかった。それだけよ。確かに私は最近この土地に移り住んできた余所者だけど、貴女たちの事情はよく知っているつもりよ』」

「『……。変なの』」

 少女はイザベレに背中を擦られて施しを受ける。その甲斐あって些か痛みの表情を浮かべた少女であったが段々と紅味のある顔色を取り戻していくのだった。

「『とりあえず、私の事はもういいよ。そうでなければあんたの命だって危うい。私ならなんとかなるから……』」

 少女はそう言って立ち上がろうとした瞬間、少女の腹部から空腹を知らせる大きな音が聞こえてきたのだ。それに対してイザベレは目を白黒させ、少女は金色と銀色の左右異なる色の瞳をしきりに動かして顔を赤くしていく。

「『……ふふっ。お腹が空いたのね? 私が今朝食べたスープを温めたから食べてみて? きっと元気になれるから』」

 イザベレはそう言って笑顔を少女に向ける。それでも少女はばつが悪そうに顔を背けるだけだった。

 

 

「……。クンクン……」

「『もう、そんなに警戒しなくても……。気持ちは解るけど変なものは入っていないわ』」

「『確かに薬草の類は入っていないみたい。じゃあ……』」

 イザベレが作った食事を前にして、危険性がないことを確認した少女は目を輝かせながら食事と一緒に置かれたスプーンを片手に握りながら両手を組む。食事を取る前の習慣なのだろうとイザベレが興味深そうに眺めていると、少女は何時まで経ってもそれらしい行動をしない。何事かと思っていると、少女は突然イザベレの方に視線を向けた。

「『……ねえ、あんた名前は? そうじゃないと食事は頂けないよ』」

「どうして名前……。ああ、トルニスス族は施しを行った者の名前を食べる前に言うんだっけ」

 イザベレは膝を折り視線を少女の目線と合わせる。

「『私はイザベレ・ハーン。さっきも言ったけど私はこの国の外からやって来た人間で、この土地で研究している魔道士なの。よろしくね』」

「『……魔道士……どうりで。そこまで聞いたつもりは無かったけれど、疑問が晴れたよ。……私はゼスス』」

 少女はそう言って再びイザベレが用意した料理に向かって手を組む。一方のイザベレは最後に少女が言った言葉が気になって聞き返すが、少女の様子を見て取りやめた。

「……どうして鋼鉄? 聞き間違いかな……」

「『生きる源を分けて下さった総てと神とイザベレ・ハーンに命を救われたことに感謝します。万物の恵みよ永遠であれ……』」

 その言葉を最後に少女は突風が駆けて行くような速さで料理をかき込んでいく。みるみる内に無くなっていく料理にイザベレは驚いていると、彼女の目の前に料理が入っていた皿が空の状態で差し出された。

「『……人間が作る物にしては凄く美味しいよ。……おかわりお願いしたいんだけど……』」

「『う、うん……! どんどん食べて! それより……』」

「『うん? 食べ方が汚いのは勘弁して。お腹が空いてどうにかなりそうだったからさ……』」

「『どうしてさっき鋼鉄……って言ったの? このスープ鉄臭かった?』」

「『……? ……ああ……』」

 イザベレからの質問に少女は不思議そうな表情を浮かべる。間もなくして少女のその表情は消えてなくなった。

「『鋼鉄、じゃなくてゼスス。私の名前だよ。……そっか、知らないか。私たちトルニスス族は生まれた時その子にあった力の名前を名付けるんだって。どうしてそうなのかは私も判らないけど、トルニスス族は生まれながら力がどうたらこうたらって言ってた。私が生まれてからは必要のないことだとは言っていたけど……』」

 ゼススと名乗った少女は顎に指を添えて言葉を述べていく。

「『なるほど……そういう理由が……。ごめんなさいね、そういったことも知らないで』」

「『気にしないでよ。私だって分からない事が沢山あるし』」

 そんな会話を交わしながらイザベレは改めてスープを皿に分けてゼススの前へと差し出して彼女の前に置く。その様子を見てゼススはイザベレの手を握る。イザベレはその行動に驚き不思議そうに眺めていると、ゼススは握った手を自らの胸の前へと引き寄せ瞼を閉じたのだった。

「『今日は命を助けてくれて、介抱までしてくれて本当にありがとう。……今まで人間は意地汚い獣だとか蛮族だって教えられてきたけど……今みたいな状況に立って考えを改めさせられたよ。縁を断つのは良いけど、断ったら断ったで分からないことばかり見えてくるんだね……』」

「『……。そうね……。今まで貴女たちのことは資料でしか見たことが無かったけど、私も貴女のおかげでトルニスス族のことが少しだけ解った気がするわ。こちらこそありがとう』」

「『……じゃあ、何? 私を研究材料にでもしちゃうの?』」

「『えっ……!? そ、そんな事はしないわよ、本当よ……!?』」

 悲しそうな表情を見せるぜススに対してイザベレは焦りの色を見せて釈明を図る。すると、程なくしてゼススの方から笑い声があがりイザベレは額に汗を浮かべながらゼススの方を見る。ゼススは小さく舌を出しながら微笑んでいて、その様子にイザベラは呆れたというような声を漏らした。

 そしてゼススは握ったままのイザベレの手を引っ張ってゼスス自身の頬へと当てたのである。

「『……これは?』」

「『私たちトルニスス族が行う儀式のようなものだよ。こうして相手の手を引いて頬に寄せるのは服従の証……。つまり私はあんたに警戒心を解いて助けてくれた礼をしたいということさ。……改めてよろしく、イザベレ・ハーン』」

「『そういう習慣が……。こちらこそよろしくね! でも、私のことはイザベレでいいわ。その方が言いやすいでしょう?』」

「『分かった。……イザベレ、ありがとう……』」

 

 

 夜が更け、雨上がりの空に満天の星が輝きが頂に届いた頃。森の中にあるイザベレの家では家主のイザベレの他にもう一人、傷付き倒れていたトルニスス族の少女のゼススが同じ時間の中を過ごしていた。

「……ふふ、気持ち良さそうに寝てる……。可愛い寝顔をしちゃって。でもその割には随分大人っぽい喋り方だったなぁ……。他の子もそんな感じなのかしら」

 イザベレは眠りにつくゼススの頭をそっと撫でる。

「すっかり懐いてくれたわね。昔に事件がなければ今みたいな光景も当たり前になっていたのかもしれないわね」

 ゼススが眠りについているということもあって部屋を照らしているのは一本の蝋燭に火を付けただけの僅かな明かりのみ。その僅かな明かりはゼススと彼女へ寄り添うように座るイザベレだけを照らし、夜も更けた中ではそれだけでも充分なものなのだった。

 イザベレは心地よさ気な表情を浮かべるゼススを眺めていると、彼女の耳に夜中であるにも関わらず森の中を駆け回る馬の地面を蹴る音とその馬に乗る者の鎧が擦れる音が木霊して聞こえきたのだ。イザベレはその様子に、またかと溜息をついた。

「最近は物騒なのね、共和国の騎士様は大変だこと。こんな夜更けにまで馬を走らせているだなんて。安眠妨害もいい所だわ。……とは言え、共和国軍の騎士だったらゼススの姿を黙って見過ごす訳ないわ……」

 そう言ってイザベレは蝋燭の火を吹き消してゼススが眠るベッドへと向かい、ゼススを守るように彼女の身体を抱きしめて横になる。瞼を閉じ、イザベレもまた眠りの世界へと旅立ったのであった。

 

 ――同時刻。イザベレたちが眠りについている中、彼女の家の近くでは大勢の騎士たちが集まりひそひそと話し込んでいた。彼らは森の奥の方、イザベレたちが住んでいる場所に向けて視線が向けられているのだ。その様子は、出陣を前とする緊張と確信が持てたことに対しての感情が昂ぶり、異様な空気を醸し出している。

 声に出さないその気持ちの高鳴りは、彼らが吐き出す大量の白い息となって現れているのであった。

 

 

「ねえ、奥様聞きました? 西の高原に続く道路で殺し損ねたトルニスス族がまだ生きていたって話」

「ええ、一週間ほど前かしらね。それがどうかしたの?」

「なんでも、そのトルニスス族が見つかったって噂よ。どこかで生き延びていたのだろうって言われてたのだけど、なんでも手助けしたのは人間だったみたいでね……!」

「やだ、なんて恐ろしい……! だから近頃騎士隊が騒がしかったのね。それにしても人間がトルニスス族を庇うなんて、ちょっと可笑しいんじゃない?」

「本当よね! 首が跳ねられるだけじゃ済まないんじゃないかしら? 最近のガベレアには外国人が多いと聞くし……愚かよねぇ、オホホ!」

 そんな会話を耳にしてイザベレはぎくりとしていた。イザベレの近くで談笑していた市民の会話の内容が自分自身の前で起きているのだから、とても他人事には思えなかったのである。

「た……確かにあれから一週間近くが経つわね……。そろそろ匿うのも苦しくなってきたのかもしれない……」

「はいよ魔道士さん! いつもありがとうね! しかし最近は買う量が増えたみたいだけど、お客さんでも来ているのかい?」

 イザベレの前に彼女がやってきていた食料品店の主の元気な声とともに麻製の袋が置かれ、そんな些細な事にもイザベレは敏感に反応して肩をびくつかせる。怪しまれないようにイザベレは愛想笑いを浮かべて店主と会話を交わしていた。

「え、ええ……まあ……。姪っ子が研究している所を見たいってせがんできて……」

「へえ、そりゃ熱心な姪っ子さんだ! 俺にもそんな子どもが欲しかったもんだ……ウチのチビどもはちっとも店の事を覚えないし手伝いもしないで遊びに行っちまってよぉ」

「あ……あはは……。……あ、おじさん。帰る前にそこのタルトを二切れ頂けるかしら。姪っ子のお土産にしようと思うのだけど」

「はいよ、毎度あり! ちょっと待ってくれな」

 紙袋を持ち直しイザベレは会計所脇に並んでいるケースの中のタルトケーキを指差して注文する。店主は元気な声とともにイザベレの注文を聞いて準備を始めるのだった。

「……。遅くとも今夜……真夜中が良さそうね。日が暮れてから数時間の間はあの近くを走る馬の音が聞こえてくるし、鉢合わせたら勝ち目がない。かと言って遅すぎても巡回しているだろうから油断できないし……。難しいわね……」

 これからの事を考えてイザベレは遠くを見つめる。最近になってゼススの事と思しき噂が大きくなって会う人間一人ひとりが自分自身を怪しんでいるのではないかとイザベレは些か疑心暗鬼になっていた。そして彼女は何としてでもゼススの命を守りたい、そんな使命にも似た感情が芽生えていたのである。

 イザベレはここ数日ゼススと介抱をする事を目的として共に生活している。その中でゼススは彼女自身が過ごしていた環境とは違う毎日を過ごし物珍しさから目を輝かせ、イザベレが取り組んでいる研究にも興味津々な面持ちで見つめるなど、日を追う度に二人の関係は深まっていた。当初では笑顔をあまり見せなかったゼススも今となってはイザベレの声を聞くだけでさえ笑顔になるというほどゼススの心境にも変化が見られ始めていたのである。それが力によって奪われる日がやって来る。それを考えたイザベレは考えきれない想像に慄いて思わず肩を震わせた。近くに掛けられた時計が刻む針の音が忍び寄る恐怖の足音を連想させるのだ。

「……とりあえず何か手を打たないと。あの子にまた、辛い目を遭わせてしまうかもしれない……!」

 そう言いながら俯くイザベレの決意は固い。腕に抱えた荷物の入れられた袋は小さく軋む音を立て、瞬き一つしないイザベレの視界に甘さで誘惑しているようなタルトが置かれても彼女の視線はびくともしなかったのだった。

 

 

 その頃の森の中にあるイザベレの自宅。夕方が差し迫った家の中には明かりは灯されず外の景色と同じように暗い色で侵食されていく。そんな暗い家の中にゼススはいた。

「『……。今日は大丈夫かな。イザベレ、帰ってきてくれるかな……』」

 家の入り口近くにある窓辺から頭を少しだけ出してゼススは、窓辺から眺められる森の景色を見つめて待ちぼうける。ゼススは何時間もこうして今いる家の主であるイザベレの帰りを待ち続け、イザベレが用意してくれた服の裾を握りしめ彼女の見つめる瞳には不安が映っていた。

「『……最近イザベレはこう言っていたっけ。近頃は兵隊が頻繁にこの辺りをうろついているから不用意に外へ出るなって……。……前から兵隊はよく見かけたけど、わざわざそう言ってくるってことは、前よりも警戒を強めているってことなんだろうな……。……やっぱり、イザベレが私を助けてくれたからこんな風になっちゃったんだ……。私は、大人しくカンニダルへ戻るべきだったんだ……!』」

 そう言ってゼススは窓から外れ両腕で身体を抱きしめながら蹲る。

「『……そう分かっているのに、イザベレの側からは離れて行きたくなかった……。あんなに誰かの為に動く人間なんて見たことがないよ。そう思うだけだったら良かったのに、どうして今はイザベレが居ないと不安になるんだろう……』」

 小さな身体を更に小さくしてゼススは黙りこむ。ゼススは初めてイザベレと出会った時とはすっかり変わっていた。敵意を剥き出しにしていたかつてのゼススの姿はどこかへと消え失せて今はイザベレに対する好意さえも見せている。

 再び我が主を待ちわびてゼススは窓の外を眺める。

 たった七日という短い時間の中、二人の間で信頼関係が急激な早さで築かれている。運命というのは、このような事を指すのだろうか。引き寄せられることが運命というのならば、今の彼女たちがそれに相応しいのかもしれない。

「『……! イザベレ……!』」

 夜の帳が落ちきる森の中に一つの影を見つけてゼススは声をあげて窓から飛び降りて床へと着地する。それと同時に家の外からは苦しそうな吐息が響いて木製の扉は開かれる。その扉からイザベレ・ハーンは笑顔を連れてゼススの前に姿を現したのだった。

「『ただいま! 遅くなってごめんね』」

「『イザベレ! イザベレ……!』」

 扉を確実に閉めてイザベレは抱えていた荷物を側に下ろし出迎えてくれたゼススの身体を持ち上げる。それに対してゼススは喜びの声をあげてイザベレの首に腕を回して抱きついた。

「わっ……! 擽ったいなもう……! 最近のゼススは何だか甘えん坊ね……? ……その方がこれからの事もしやすくなるだろうし、悪くはないか……」

「『イザベレが遅いから心配したよ……! 良かった、無事に帰ってきてくれて……』」

「『ふふふ……その様子だと私が買い物に出掛けてからずっと待ってたのね? 貴女が好きな本が沢山あるんだからそれを読んでいても良かったのに』」

「『うん……それでも良かったんだけど……。それでもやっぱり隣にイザベレが居てくれなきゃ落ち着かなくてさ……。こんな感覚、初めてだよ……』」

 そう言ってゼススは自らの頬をイザベレの身体に擦り寄せて心地よさそうな表情を浮かべる。しかしイザベレはゼススのそんな姿を寂しそうな表情で見つめていた。

「『……ねえ、ゼスス。ちょっと大事な話があるの。話してもいいかしら?』」

「『大事な話?』」

「『そう……。立ったまま話すのも何だし、一度座りましょうか。ゼススが大好きな果物が沢山乗ったタルトも買ってきたから』」

「『本当!? 食べる!』」

 イザベラは一度ゼススを降ろし揃って席に着いて買ってきたばかりのタルトを机の上に並べていく。ゼススはそれを見て台所から食べるためのスプーンを二つ握りしめてそれぞれの前に置いて着席する。そして彼女たちは揃って食べる前の挨拶をかわし、ゼススは笑みを零しながらタルトを頬張ったのだった。

「『……ゼスス。食べながらでいいから聞いて頂戴。いつも言ってるけど、最近この国の軍隊の動きが慌ただしいの。……今日は特に顕著でね、街でも大きな噂になってた。この前仕留め損ねたトルニスス族の生き残りを血眼になって探しているって』」

「『……。……やっぱり、私が早くここから離れなかったからこんな事に……?』」

「『いいえ、そうじゃないわ。ここへ帰ってくるときにもすれ違ったけれど、この王国にはどうやらクァレダ地方、もとい旧トーヴァルニヤ帝国の各地域からの軍隊がやって来ている……。理由としては恐らく、財政難に陥っているこの国に幾つもの国が出資し合って共和国の回復を建前に軍事的な拠点を作ろうとしている……そんな話を噂でよく耳にするのよ。未だに紛争が絶えない今のこの地方ではそういった仮説が出ていても可笑しくない。それを達成するために、一度はこのガベレアを壊滅状態に陥れたトルニスス族の存在を一番に警戒しているの……だから、ゼススを逃してしまった事にこんなにも大騒ぎしている。例えゼススが故郷へ逃れたとしても、大勢の軍隊が押し寄せるのも時間の問題でしょうね。あまつさえ、私は軍に魔道士ということが知られていて召集令状も大分前に来ているの。その時に断ってそれ以来訪れることはなかったんだけどね。どの軍にしても魔術を扱えるものは喉から手が出るほど欲しいみたいで何度も督促が来て家にまで押しかけてくる始末……そう考えると、私たちに残された時間は、無いに等しいのよ』」

 イザベレの言葉を最後に二人の間には沈黙が訪れる。風が出始めてざわつく時の中ゼススは「じゃあ、どうすれば……?」と言って沈黙を破ったのである。

「『ゼスス、このままでは私たちに明日はないわ。一緒にこの国を出ましょう。今から準備をして日が変わるまでにはここを出発が出来るはずよ。そこから順調に進んでいければ、歩いても次の日の昼過ぎには国境を抜けて夕時までにはこの国からかなり離れる事が出来るわ。……貴女に亡命させる事は心苦しい事だけど……私は貴女と離れてこの先を生きたくはない。一研究者として、一人の人間としてこれから先の時代を生き抜きたい。私よりも魔術に長けた貴女とならやっていける……そう心から確信が持てるのはこれが初めてだから……私はこの気持ちに賭けたい。……ゼススはついてきてくれる?』」

 イザベレがそうゼススに問いかけると、ゼススは椅子から飛び降りて駆けてイザベレの元に飛び込む。その時のゼススの表情は恐れの中に覚悟を決めた、そんな表情が浮かんでいた。

「『……イザベレ、私も同じ気持ちだよ。このまま離れたくない……。戦いが起きるのは嫌だし、魔法を使って苦しい思いにさせるのだって嫌……。イザベレとこの先を一緒に歩んで世界が変わっていくなら、私は迷わずに付いて行くよ。イザベレが思う世界を私に見せて欲しい……』」

「『……。もちろんよ、ゼスス。……貴女は、私が守るから――』」

 そう言ってイザベレはゼススの身体を抱きしめ自らの身体に引き寄せる。そしてゼススもまたイザベレの身体を抱きしめて彼女の問に応える。夜は静かに訪れ、彼女たちの決意もまた静かに交わされたのだった。

 その静かな中に響いてくる音といえば、一つの方角を目指して金属の音を鳴らしながら地面を踏んで進む幾つもの足音だけなのだった。

 

 

「……マーレ様、何時までこうしているおつもりなのです? ……だいぶ冷え込んできましたし……ほら、雪だってちらつき始めて……。私、この寒さには耐えかねるものがあります……! それに、帰国する日にちも伸びてしまいます……」

「ははは。何を言うかアニー。ここまでやって来て珍しいものが見れるかも知れぬのだぞ? そうとなれば興味深いものがあってな、みすみす見過ごすわけにはいくまい」

「……珍しいもの、と言いますと?」

「アニー、君は「魔女のトルニスス」という童話を読んだことがあるかな」

「……? それは全国的に有名な童話でしょう。こう、意地が悪そうな魔法使いの老婆が人々を苦しめている中、それを打破するために勇者が現れて魔女を退治する話……。一度はとても強い魔法に勇者は敗れますが、勇者は神から譲り受けた剣の力を借りて魔女を撃破する。それに対して魔女はもう二度と魔法を用いて苦しませないと誓うけれど、信用ならないと勇者は魔女を縛り上げて火山の中へ放り込んで始末する……という散々な話だったような……」

「ほう、よく覚えているな。大したものだ。さては幼い頃に熟読したな?」

「ま、まあ……。近所に図書館があったもので、雨の日は大体本を読んでいました。……今言ったように、大体は童話でしたが……」

「それは結構なことだ。……それでだ。これから現れるかも知れぬ魔女の原案となったトルニスス見てみようじゃないか。これはこの土地でしか見れぬのでな、興味深いのだよ」

「……マーレ様、悪いことは言いません。お止めになったほうが良いでしょう。幾ら興味があるとはいえ強力な魔法を使う老婆を見るなど……幾らマーレ様でも感性を疑ってしまいます」

「馬鹿め、老婆見たさにこの寒い中待つ訳がないだろう。例え魔術の参考にするとはいえそのような事はしない。それにだ、本物のトルニススは童話のものとは正反対の物と聞く」

「正反対、とは……? それに本物というのは一体……」

「トルニススとは実在する種族の事だ。老婆ではなく、見た目はかなり若々しいということだ。しかし強力な魔法を使う所に偽りはないようでな。……私も資料でしか見たことがないが、童話でトルニススという実在する名詞を用いているのは恐らくリーレ・デ・ランツァンテの報復の憎しみを込めてのことだろう。だからこそ実際とはかなり歪曲した表現で描かれ憎さを滲み出させている。おまけにその童話で事実と合っているのは魔術を用いるということと打ち首に遭うという事だけだ」

「……待ってください。そんなこと書かれてはいないはずですが……」

「初期の魔女のトルニススでは魔女を仕留める方法として首を跳ねているのだ。出版後、児童向けにしては残酷すぎると非難があり火口へ放り込まれるという表現に落ち着いたのだそうだ。リーレ・デ・ランツァンテの報復後、危害を加えた実際のトルニススの者たちは皆打ち首に遭い平原に捨てられたのだそうだ。この童話自体がその事件後間もなく出た上に国側が命じて出版したということらしい。それ程、人間たちからトルニスス族は忌み嫌われているということだ。私が生まれる少し前に事態はある程度落ち着いたようだが、今でも啀み合いが続いている。挙句の果てにはトルニスス族を殺すことさえ躊躇しないと言うほどのようでな。……忌まわしきとは、まさにこの事よ」

「そんな事件が……!? では、先ほどから忙しく駆けて行く騎士たちもそう言う理由で……?」

「そういうことだ。先ほど寄ったトノコで聞いた話だが、なんでも、一人のトルニスス族を仕留め損なって大慌てで生き残りを探していて漸く在り処を見つけたのだそうだ。忙しく騎士たちが駆けて行くのは確実に殺めるための下準備と言って良いだろう」

「……それにしても理解が出来ません。憎しみが強いにしても一体何故一人のためにこんなにも騒ぐのでしょう? 幾ら強力な魔法を用いるからといって……」

「答えは簡単だ。この土地に巨大な軍事拠点を建設するためだよ。……新聞にも書いてあったから見たとは思うが、今このガベレア共和国は国王バーナード十一世が命じた軍備拡張による失策のために財政危機に陥っている。身の丈を知らぬからそうなるのだろうな。そういう経緯もあり、サーデン王国とブワッカ王国から支援を受けて建て直してきている。だが本当の狙いはこの国の豊かな土地の広さと良好な鉱物資源が目的なのだろう。ついさっき入手してきた燧発式(すいはつしき)の銃器もこのトノコくらいでしか近場にはない。個人的な売買など尚更だ。巨大な拠点を作り上げるために、一度は致命的な被害を出したトルニスス族を見逃すはずもない。ゆくゆくは根絶やしにするつもりだろう。剣や槍、斧や弓。銃器でさえも魔術には到底及ばないのでな、それを危惧していると思われるのだ」

「そんなにも恐れられているトルニスス族……一体どんな魔法を……」

「さてな。それは私も見たことがないから未知数だ。……そら、誉れ高きサーデン王国とガベレア共和国、ブワッカ王国の騎士様たちが駆けて行くぞ。いよいよらしいな」

「……何故か今の言葉で馬鹿にされた気が否めません……」

「ははは……可笑しな事を言う。君は既に我々ルルアの大事な国民なのだ。引目を感じることはないだろうに」

「そ、それはそうですが……。国は変わっても騎士であることには違いのない私からすると……」

「ふふ、真面目なものだ。今のままの気持ちをずっと持っていてくれ。……下手すると面倒事に巻き込まれるかも知れぬからな。気を抜いてはならぬ」

「……。それは覚悟の上です、マーレ様」

「うむ、結構だ。では行くぞ――」

 

 

 今夜の月は厚い雲と少しばかり早い初雪に遮られてその顔を隠していた。そして道標になる光さえも失われ辺り一面には暗黒がどこまでも広がっているのだ。イザベレとゼススは荷物を抱え、今の今まで過ごしていた小屋を明かりを付けたままにして離れていく。二人の顔には緊張したように凍りついていたのである。

「『さあゼスス。こっちよ……』」

「『う、うん……』」

 イザベレはゼススの手を引いて森の中を早足で歩いて行く。

 彼女たちは出発する数時間前に決意し合った事を成し遂げるためにガベレアを脱出することを目的として暗闇の森の中を歩いていた。明かりもないままに進んでいくのに頼りになるのはイザベレの記憶だけ。イザベレがゼススの手を握る強さは、暗闇が深まっていく度に強くなっていくのだった。

「『大丈夫? もう少し遅いほうが良い……?』」

「『う、ううん……! 大丈夫だから……』」

 イザベレはそう言って後ろを付いて来るゼススを気にかけて問いかける。その問にもゼススは笑顔で応えた。

「『……ねえ、イザベレ。この国を出た所で行く宛はあるの……? 山ばかりで人里を探すのは難しそうだけど……』」

「『大丈夫よ。この国境を越えた少し先に馬を貸してくれる馬主さんがいてね、私がここへやって来る時にお世話になったの。その時から時間はそんなに経っていないからまだいらっしゃるはず。そこで馬を借りる事が出来ればそこから一日らい馬を走らせれば私の住んでいた街に辿り着ける。そこまでの道なら心配要らないわ。帰り道ぐらいはきちんと頭に入っているから安心して』」

「『……そっか。ならいいんだ。そういう事なら私、まだまだ頑張れるよ……イザベレと、一緒に穏やかな生活をしたいんだ、私。イザベレの研究だって手伝うことができるし……ずっと一緒に居られるから……さ……』」

「『……。ふふっ……。ありがとうね、ゼスス。そう言ってくれると気分が軽くなるわ。……貴女が居てくれると心強いわ。きっと、逃れた先でも私たちは平穏に――』」

 イザベレはそう言いかけて足を止める。その様子にゼススが不思議そうにしていると、イザベレは辺りをしきりに見渡し始めたのである。

「『……? イザベレ……?』」

「何……この臭い……。微かな硫黄の臭い……それに金属が擦れ合う音が――しまった……!?」

 大きな爆発音と共にイザベレの言葉は掻き消される。状況が全く掴みきれていないゼススが狼狽えていると、爆発音が小さくなるに連れてイザベレの身体が揺れ次第に大きくなっていく。それに気が付いたゼススが振り返ると、それと同時にイザベレの身体は地面へと倒れ込んでいったのである。

「『――! イザベレッ……!?』」

 呻き声をあげ悶えるイザベレをゼススは抱きかかえ何度も彼女の名前を呼ぶ。暗闇に紛れ詳しい被害は分からないものの、イザベレの肩からは血液が吹き出し痛みに悶える声がその状況を強いものにしていく。ゼススがイザベレの介抱を行っていると、彼女たちのすぐ後ろから足音が聞こえ、ゼススは素早く振り向く。そこに居たのは鎧に身を固め武器を構えた兵士と、馬に跨った兵隊たちであった。

 

「――ふむ。距離を取っていたにも関わらず命中精度は高いな。島国程度の技術の銃と高をくくっていたが、中々恐ろしい。数は減ってきてはいるがまだ現役の武器だ。取り寄せて正解だったかも知れん」

 

「『……兵隊……!? どうしてこんな所に……!?』」

「トルニスス族に間違いないな……。全く手を焼かせてくれる。それもこれもそこに居る間抜けな女のせいと言えるだろう。……魔道士イザベレ・ハーン。何故トルニスス族を匿ったりなどしたのだ。知識ある貴嬢ならば承知しているはずだ、この国の歴史とトルニスス族の関係を。今回の件はそれを大きく背いた事となるのだ。……知らないとは言わせない。魔道士とは言え、これは大罪。免れぬ裁きがあると思いたまえ」

「うう……ぐっ……! エ、エアハート中隊長……!?」

 痛みの残る肩を抱えながらイザベレは声のする方を見て驚きの声をあげる。彼女が声をあげた方向。そこには凛とした表情に冷たい眼差しを向ける男の姿。彼はサーデン王国第八番騎士隊副隊長兼ガベレア共和国臨時護衛軍第一番隊中隊長、アドルフ・エアハートである。

「今この現状を見る限りだと君たちは逃げるためにこの森の奥を目指して居たようだな? それを仄めかす為にイザベレ・ハーンの家は明かりが付いたままだったのだろう。残念だが我々は君たちが家を出発する所から追ってきていたのでね、それらは無駄な工作と言うわけだ。……何故逃げた? 場合によってはトルニスス族は疎か魔道士イザベレ・ハーンさえも始末して良いと命令されている」

「ぐ……ふん……。共和国を謳いながら一つの人種でしか住まうことが出来ない国に、何が望めると……? それに今は……他国を招き入れ一つの大きな拠点を作ろうとしている……。それが引き起こされたら、この国の民は一体どうなるというの……!? 私たちは、誰かに殺されるために生きているんじゃない……生まれ持った使命を全うして死ぬその日までを生きるのよ……! 上の勝手な縺(もつ)れで権利を奪われるくらいなら、亡命なんてどうってことないわ……!」

「……。ならば、今夜が君の生まれ持った使命を全うする日だ。わざわざトルニスス族を連れ出してくれてどうもありがとう。……もうお前のような屑には用はない。――殺せ。二人まとめてだ」

 アドルフの瞳に映る冷たさが一層冷たくなり部下たちに命令する声は小さかったが、静かな森の中ではよく響いて彼の数十名の兵は皆武器を構える。少ししてから遠くで狙撃を行った兵士も合流し、その兵士も例外なくイザベレたちに武器を向けた。

 イザベレは観念したという面持ちでその時を待つ。――そんな彼女の前に誰かが立ちはだかる。ゼススは、両腕を広げてアドルフたちの前を遮っていたのである。

「ゼスス……!?」

「ほう……。先に死にたいと申すか。いいだろう、ならば望み通りにするまでだ」

「『許さない……! 軍というのはそんなものか!? 奪うものがないと武器さえも取らないのか!? 馬鹿馬鹿しい! 私は、決してお前たちには屈しないぞ!』」

「……目障りだ。構わん、殺れ――」

 

「……! ダメッ! ゼスス……――」

 

 イザベレは何かに気付いたようにゼススを突き飛ばして絶叫する。イザベレがゼススを突き飛ばしたと入れ替わるようにして先ほど聞こえてきた爆発音が再び響き渡った。ゼススは地面に倒れこみ、直ぐさま体制を立て直す。そして彼女は服従を誓った主を探して辺りを見渡して主を見つけたのだ。――だがそれにはゼススからの喜びや安堵の溜息は聞こえて来ない。むしろゼススは主の姿を見つけて唖然としていたのだ。

 何故なら、爆発音――もとい銃声は暗闇の中を切り裂いて一つの標的を貫いていた。その標的とはゼスス。しかし彼女はイザベラが突き飛ばしたことによって難を逃れていた。

 一方のイザベレは、大人しくなっていた。暗闇を切り裂いた銃声によって彼女の頭は酒樽に穴を開けたように、酒が溢れてくるように血液は流れ出て、酒が揮発するように鈍い血の臭いが立ち込め始めて……それは見るも無残な最期であった。

「『……。……イザベレ……? イザ……ベレ……!? イザベレ……!? イザベレッ!?』」

 

 動揺しながらゼススはイザベレの側に駆け寄る。彼女はイザベレの名前を何度も呼ぶが、その声は森の中を木霊していくだけ。――イザベレは、もう冷たくなっていた。

 

「『イザベレ……イザベ――ぐっ……!? ゲフッ……ゲッ……ゲェッ――!』」

 既に変わり果てたイザベレは、数時間前のような優しそうな面影はなくただただ赤色で支配されていた。元々のイザベレを知っているゼススは、その光景と血生臭いものが鼻を刺激して胃の中の全てを地面へと吐き出して悶え、無念の思いさえもそれらに混ざりこんでいるようであった。

「なんと滑稽な最期だろう。……おい、何をしているのだ、もう一人も始末してしまわないか。それが済めばこの任務は終了してカルアンヌ様にご報告が出来るのだ。もたもたするな」

「はっ! 了解致しました! ……装填完了。これより執り行います」

 アドルフの側に居た兵士が彼の命令を聞き銃器を持つ兵士に伝達する。そこからの出来事はあっという間で兵が銃を構え、引き金を引いて再び銃声が響き渡る。これで終わりだと確信したアドルフは馬を操りゼススたちに背を向ける。彼は上官に報告をせねばと、先を急いだ。

 

 ――だがそれは、金属が弾ける音と共に彼の側に居た兵士が倒れたことによって遮られることになる。異変に気が付いたアドルフは直ぐさま振り向くと、部下の兵は血を吐き倒れて絶命していた。

 

 よく見てみると、その兵士の頭部には穴が故意的に空けられ、それは銃痕のようであった。待ち伏せが居たのではないかと彼は周りを見渡すがそれらしき姿は見つからない。そんなことを考えているとアドルフの背後から悲鳴が湧き出してきたのだ。何事かと思い振り向く。するとそこにあったものにアドルフは目を丸くした。何故ならそこには、部下に命令して射殺したはずのトルニスス族の少女・ゼススが地面に平伏さずに立ち上がっていたのだから……!

「なッ……!? 何故だ……!? 何故立ち上がっている!? おい! これはどうしたというのだ!?」

「は……はっ! それが……命中させたのですがどういう訳か弾く音がしたと思ったら兵が倒れて……!」

「み……見ろっ! 様子が変だ――」

 

「――ググググ、ウグググググ……ッ! ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ! ――――――――――――!」

 

 まるで猛獣が雄叫びをあげるようにゼススは叫び声をあげる。するとゼススの身体は鋼の様な重たい灰色へと変化し眩い光に包まれたではないか……! その光景を見た全員から動揺にも似たどよめきが起きて混乱した空気に包まれる。やがてゼススの身体を包んでいた光が晴れて見えてきたもの。それは、馬に乗った人間の倍はあろうかという程の大きさを持った巨大な鉄の蜘蛛が姿を現したのである。

「く……蜘蛛!? なんだ、コイツは……!?」

「……これはまさか……化身か……!?」

 アドルフは目を丸めながら蜘蛛の姿をしたゼススを見つめる。

 化身とはかつてトルニスス族がリーレ・デ・ランツァンテの報復において人々を襲った姿だと言われている。その現象は彼女たちが魔術を用いる時と同じような光を放ち自らの姿を獰猛な動物や恐ろしい姿に変えることから魔術による变化とされ恐れられた。もっともこの事実を知っているのはごく少数で、有力な資料も残っていないのだ。その為、今居合わせた人間で狼狽えない者は一人として居なかったのである。

「『――我らトルニススの怒りを再び呼び起こした愚か者どもめ! この鉄(くろがね)のゼススが裁きの鉄槌をその身体に教えてやろうぞ!』」

 怒った、と言う言葉が相応しいと思える叫び声が辺り一面に響き渡る。

「『……イザベレ……ああ、愛しき我が主よ。我を守ったが故に命を落としてしまった愛しき我が主よ、なんと変わり果てた姿に……! 恨めしいぞ、主へ鉛を放ったお前たちがとてつもなく! お前たちにはもはや生存を請う余地など残されておらぬ! この行いは自ら地獄へ落ちるということを決めたと言うに等しい行動である!』」

 次々と繰り出されるカドル語を叫びながらゼススの身体は揺らめいて、アドルフたちににじり寄っていく。それを見たアドルフの部下たちは恐れをなして散り散りになってかけ始める。騎士たちの馬は異常な事態に怯え暴れ回り中には振り落とされるものも居た。一人を押さえつける為に用意された多くの軍勢は皮肉にも、その一人によって軍勢を押さえつけられてしまいそうになっていたのである。

 

「ダ ランツァ ウイ アヌテイラ カフ ソディナール、ウイ ク エルダ ゼスス ヌイ ソヴォルダンテ。シャラ・ダ・ソディナール――(亡き主を想いてこのゼスス、憤懣(ふんまん)する事を辞さん。手加減はせぬ、覚悟せよ――)」

 

 ゼススはそう言い放つと、前脚を上げて素早く振り下ろす。そうして起きた物、轟音を放ちながら鉄の塊が宙を突き進んでいく。一つではなく二つ、三つと、ゼススは容赦なく鉄の塊を辺りに降り注ぎ始めた。

 地面さえも揺るがすような振動とともに鉄の塊は地面に落ち、同時にアドルフの部下たちの悲痛な叫びも聞こえ、それらは間を空けることはなく散り散りになって消えていく。

 逃げていては埒が明かないとアドルフは逃げようとしている部下たちを集め攻撃の形を整えようとする。遠くに逃げたものはゼススが放った鉄の塊によって大人しくなりゼススの近くに居た者たちは衝撃によって薙ぎ倒された木たちの下敷きになって息絶えていた。残っていたのは彼の周りに居た経験を積んだ上級の騎士たちと歩兵、ただ一人の銃歩兵だけであったがアドルフはそれぞれに役割を与えゼススに挑む。

 しかしそれらは、アドルフが素早く決めた作戦概要を伝え終わったと同時に無へと変わった。ゼススは、遠くへ逃げた者の始末を終えてこの場に於ける要人の前へと立ちはだかる者を放り投げ、斬り殺し漸くアドルフの前とやって来たのであった。

「――ッ! ば……化物め……!」

 アドルフは馬を捨て剣を抜いてゼススの前に立つ。だが、ゼススの前では戦い道を切り開いていく心強い剣も、心許ない棒と化していたのである。

「構わぬ、撃て! 鉄とはいえ近距離で撃てば傷くらいは付けるはずだ! 急げ――」

「『そんな軟(やわ)い鉛如きでなんとするというのだ? 我が鉄は、そんなものより遥かに鋭い。裂けよ――』」

 弾を装填し構えた所にゼススの脚は伸びてきていた。ゼススが撫でるように銃を持った兵の身体に触れると、銃は割れ血は吹き出し、一つだった身体は二つに割れたのである。

「ヒッ……ヒィッ! た、たすけ――」

 助けを求める声が幾重にも生まれては一つひとつが消滅していく。ゼススは、その様子に自らの重たい灰色の脚を赤色に汚して制圧していく。それはあっという間の出来事で、周りが絶望の声を血に変えていく中アドルフは遂に最後の一人として取り残されてしまったのである。

「……こ、これがあのリーレ・デ・ランツァンテの報復で見せたトルニススの真の姿だというのか……!? ……悪魔だ……これを悪魔ではないと証明するものはない……!」

「『貴様か、我が主を殺めた首謀者は。己が犯した行いを恥じる気になったか? ……しかしそれは既に赦されぬ領域まで来ているのだ。請うても免れぬ罪。それが貴様の選んだ道なのだろう、愚も甚だしきことよ』」

 静かに詰め寄るゼススを見てアドルフは横歩きで様子を伺う。少しずつ移動するアドルフの脚は震え地面を踏み込む力さえも覚束ないようで、腰に携えた剣さえも存在に忘れる程である。それは恐怖によるものなのか武者震いなのか。どちらにせよ、今のアドルフには震えという高揚を隠しきれる程の余裕など持ち合わせていなかったのである。

 そうしてアドルフは背後を木々に捕らえられ退路を塞がれる。だが彼の脚には何かが当たる感触がして無意識の中アドルフの目は足元に落ちた、予備として持ってきていた最新式の燧発式の銃が一丁だけ転がっていた。火を付ける手間が要らぬその銃には既に鉛弾が込められており直ぐにでも発砲できるように用意されていた。アドルフは、しめたと言い出しそうな勢いで口角に窪みを作ったのである。

 しかしアドルフは銃を手にすることは出来なかった。彼が銃を持ち上げゼススに向けて鉛弾を発砲する同じ時間の長さで、既にアドルフの首は地面にへと叩きつけられたのだから……。

「『……。主を失ってもなお、我は生き続けている……。何故なのだ、我ばかりこういう目を見る……? 実りを求め出れば友を失い、自由と平穏を求め出れば愛そうと決めた主を失う……。我の生きる前には徒爾(とじ)に終わるということしか、広がっていないのか……?』」

 その言葉とともにゼススの身体は再び光に包まれ、蜘蛛だった身体は無くなり元々の小さな身体へと戻される。悲哀に染まった声色はやがて涙を含んだ声へと変わっていくのだった。

「『……っ、イザベレ……イザベレっ……!』」

 ゼススは小さな身体を一杯に使って泣き声とともに震え始める。さめざめと泣くゼススの涙はどんな氷よりも冷たく、脆くなった布を引き裂いたように掠れた彼女の涙の声は屍が幾つも転がる森の中でただただ木霊していたのであった。

「……凄まじい光景であった。国もここまで躍起になっているとはな、心底反吐が出る思いだ」

「……全くです。ここまでして軍力を行使するなど……」

 突如静かな森に響く声に気がついてゼススはその声を探して辺りを見渡す。すると、ゼススの涙が浮かんだ瞳に入り込んできた二人の人影。それは白銀色の髪を靡かせながらゼススの姿を見つめるマーレニツカ・ゾンバルトと赤髪のポニーテールを揺らしながら周りを見渡しているアニー・ヘーゼルダインの二人であった。

「『……! ま、まだ残っていたのか……!? く、来るなっ……』」

「……可哀想に。行動を共にしていた者を失って途方に暮れているのか。今カンニダルの里へ行っても途中で今回の二の舞いになるだろう……」

「……マーレ様、如何なさるおつもりで? 見たところ彼女は我々の言葉は通じぬようです。それなのに少女の前に出て……不信感を煽るだけでは……」

「心配はいらぬ。この子が話しているのはカドル語だ。私に任せておきなさい」

 マーレニツカはそう言って腰に携えていた剣と装備、手荷物をまとめて地面へと放り投げる。そして彼女はゼススに対して跪いた。

「『……。何の真似なんだ。あんたたちが敵ではないとでも言いたいのか……?』」

「『――そうだ。我々はここに転がっている者たちとは関係のない者だ。無論、君に危害を加えるつもりは毛頭ない』」

「『……!』」

「マ、マーレ様……?」

「これ、アニーよ。何を突っ立って居るのだ。君も武器を地面に置いて私と同じ体制をとらないか」

 聞き慣れない言葉をマーレニツカの口から聞いてアニーは怪訝な表情を浮かべ、彼女に促されアニーもまた装備を地面に置いて跪く。その様子にゼススは不思議そうに二人を見つめる。特にマーレニツカの姿を見つめるゼススの瞳には力が入っていたのである。

「『……最近の人間はカドル語を学び始めたとでも言うのか? どうしてこうも会う人会う人カドル語を話せるんだ……? その方が言葉が分かるから良いけど……』」

「『誰も彼も知っているわけではない。私も魔術師の端くれでね。ある程度ならば会話は出来る』」

「『魔術師……? あんたが……?』」

 ゼススはまた不思議そうな表情を浮かべたままマーレニツカの姿を見つめる。些かな警戒心を持っていたが、それでもゼススは少しずつマーレニツカたちに近づいていくのだった。

「『ははは。そこまで警戒しなくてもいいだろうに。……心配は要らぬ。何もせぬよ』」

「『……。確かに魔法についてはまだまだヒヨっ子みたいだし、そこまで危害を加える相手ではなさそうだ。魔術を身につけ初めて一年とちょっとが過ぎたところかな』」

「ぬ……。なかなか物言う性格のようだ。しかし血に魔力が九割流れていると噂のあるトルニスス族だ、私が魔術自体の学んだ経年を読むとはな。恐れ入る」

「……マーレ様? 一体何を話されているのです? 少女はこちらに近づいてきましたが……」

「ふっ、私は魔術師としてはまだ魔術の「ま」を知らぬと言っている。だがこれでこの子は相当位の高い魔術を扱う者と確信が持てた」

「『だけど……この感じはなんだろう……。魔術はまだまだだけど、身体から漂うに感じる血の臭いのような……そんな身を縮こませてしまいそうな感覚は……』」

 ゼススはそう言って両腕で自らの身体を抱きしめる。

「『ふむ、鋭いな。ならばこちらが何者か言わねばなるまい。その前に名を名乗っておこうか。私はマーレニツカ・ゾンバルト。隣りにいるのは私の部下であり騎士のアニー・ヘーゼルダインだ。……君は?』」

「『……。私はトルニスス族のゼスス。……見たところガベレアの人間じゃなさそうだけど、どこから? それに隣の騎士とやらといい……あんたたちは一体……?』」

「『ゼスス……成る程、だから先程は鉄の化身になっていたのか。しかし立派なものだった。あそこまで強い力を放っているとはね、増々興味深くなってきたよ。あれ程までとはいかぬのだろうが、トルニスス族は多彩な魔術が使えるのだろう? 機会さえあれば教えを請いたいものだ』」

「『……答えを聞いていないぞ。あんたたちは一体何者だ?』」

 ゼススが強い口調でマーレニツカに問いかけると、マーレニツカは途端に真剣な表情になる。言葉は分からぬアニーであったが、二人の様子に彼女は気を引き締めた。

「『単刀直入に言おう。我々は国をあげてサーデン王国を始めとする諸国に戦いを持ちかけている。かつてあったトーヴァルニヤ帝国の再建を掲げてね。我々はルルア国の民、トーヴァルニヤが分裂するきっかけを作った悲劇の舞台の生き残りだ』」

「『ルルア……東部にある農業で有名な場所じゃないか。私の両親たちの代はよくルルアに作物の種を貰いに出かけていったっけ。……そんなルルアから戦いの狼煙を? とても勝算があるようには見えないけど』」

「『勝算は読み解くのではなく築き上げるものだ。ルルアにはもう四名の国民しか残っておらぬ。だが、私は故郷を失いたくはないのだ。戦火に屈して打ちひしがれていたくはないのだ。そのために、人においても戦いにおいても私は国の長として血を流す意を決めた。ここに居るアニーもルルア人ではない。彼女はまだルルアに来てから日は経っていないがこの地方の現実を目の当たりにして慄いている。過去に居たサーデンでは考えられなかった辛辣な実状にね』」

「『……そうか、あんたたちは軍人だったか。だったら私に用はないだろう。……もう帰ってくれ。ぐずぐずしてると異変に気付いた兵隊たちがやって来るよ。……もう、思い残すことはない……』」

「『……。イザベレ・ハーンの事か?』」

 哀しみを浮かべた表情はマーレニツカの言葉に消され、ゼススは驚いてマーレニツカの顔を見る。ゼススは今まで慕っていたイザベレ・ハーンの名前を挙げられて驚かないわけにはいかなかったのである。

「『確かに惜しい人を亡くしたものだ。彼女ほどの名だたる魔道士を殲滅の妨げと言うだけで簡単に殺してしまうとは……それこそ罪といえるだろう』」

「『……本当にあんたは何者だ。ただの魔術師のヒヨっ子じゃなかったのか……?』」

「『ははは。イザベレ・ハーンは人間の魔術師の間ではそれなりに名の知れている魔道士であり研究者だったのだ。研究内容は魔術による治癒と共和、彼女ほど平和を重んじるものはいないと言って良いだろう。だからこそ遺憾でならん。彼女ほどの力を、是非ルルアで発揮して欲しかったものだ』」

「『……イザベレを戦争の道具にだって? 仮にイザベレが生きていて参加すると言っても私は許さないよ。奪い合うだけの戦いに、イザベレを巻き込むなんて……!』」

「『戦争の道具、か。確かにそれは言えているかも知れぬ。だがなゼススよ。今の時代は待っているだけでは殺される運命にあるのだ。今回の件ではっきりしただろう。君たちの経緯は分からぬが、やり過ごそうとしても国という膨大な力を使ってねじ伏せようとする。……馬鹿げているだろう? かつて大勢の人々が共存していた世界と同じとは思えない変貌ぶりだ。だからこそ私はかつての世界、トーヴァルニヤ帝国を築きあげたい。そのためならば手段を選ばぬ。今王座でぬくぬくとしている故に腐っている腑抜けどもから、必ず取り返してみせるのだ』」

「『……はは、ヒヨっ子が言うにしちゃ大分妄想が過ぎるね。……でもそれを凌ぐだけの力はある……それがさっき感じた感覚だったのか』」

 マーレニツカの瞳を覗き込んでゼススは可笑しいというように笑いを浮かべる。それでもゼススはマーレニツカたちに敵意を見せようとはしなかった。

「『でももう……イザベレはいない。きっとあんたたちもイザベレがやられる所を見たんだろう? だったら私になんて』」

「『そうだな、放っとくであろう。君がただの人間ならばな。せいぜい人里まで送ることしかせぬ』」

「『……どういうことだ?』」

「『これからカンニダルへと戻るつもりか? 今、軍事拠点となりつつあるこの国の中に留まると? 幾ら強大な力を持っていたとしても到底トルニスス族だけではどうすることも出来ぬ相手だぞ、サーデン諸国軍は。加えてこの地形に詳しいガベレアの人間も居るのだ、勝算はあるまい?』」

「『……だったらなんだって言うんだ!? 私に戦えと――』」

「『そうだ。是非君の力が我らのルルアに欲しい。その小さな身体で剣を担ぎ突撃せよなどとは言わない。魔術に長けたその知識はいずれ強力な盾になる。どうか、ともに戦ってくれぬか』」

 その言葉にゼススは戸惑いを見せる。前触れもなく戦いに参加するなどとそんな表情が彼女の顔には浮かんでいた。視線をあちらこちらにぶつけながらゼススは振り向く。その視線の先には既に動かなくなったイザベレ・ハーンの姿。イザベレの姿を見つめるゼススの瞳にはその決断を請う色が浮かんでいたのである。

「『……言っただろう、勝算は築き上げるものだと。私はルルアの仲間を見殺しにするようなことはせぬ。例えそれが異国の者であってもな。先に言った通り、我々は勢力を広げているサーデン王国たちと剣を交えている。戦火に巻き込まれるかも知れぬ故郷カンニダルとイザベレ・ハーンを想えば悪い話ではあるまい。……イザベレ・ハーンの無念を共に晴らそうぞ』」

「『……。確かに私たちの力だけではどうすることも出来ないし、あんたが言ったように待ってるだけじゃ明日はない……。イザベレだって……。……。……分かったよ』」

 ゼススは振り向いて再びマーレニツカたちと向き合う。

「『なら、私をそのルルアに連れて行ってくれ。カンニダルの皆とイザベレを想えば、超えなきゃならないようだ。……それに、まだあんたたちを信用しているというわけじゃないけど、信用するよ。……どこかイザベレと似ているあんたになら……』」

 マーレニツカに近寄りながらゼススは決意した眼差しをマーレニツカたちに向ける。そしてゼススは徐ろにマーレニツカの手を取って自らの頬へと運んだのであった。

「……? マーレ様、彼女は一体何を?」

「成る程、こうするのか。これはトルニスス族独自の文化でね。彼女たちは相手の手を自らの顔や頭に触れさせて誓い立てや自らの意思を伝えるという儀礼があるのだ。どこに触れたかによって意味合いは異なる。頭は学びや教え、目は敬愛、耳は勤労、鼻は謝恩、唇は愛念、顎は過ちを償うと言う意味。そして頬は――」

 マーレニツカはゼススの頬に触れながら彼女を見つめる。閉じていたゼススの瞼は開かれ、彼女は強い眼差しと共にマーレニツカを見つめていたのだった。

「――服従だ」

「……ということは……」

「うむ。この子……いや、ゼススは我々と共についてきてくれるということだ。これは心強いものだ」

 マーレニツカはゼススの頬から手を離し改めてゼススの姿を見つめてまた興味深そうな声を零した。

「ふうむ……トルニスス族は左右違う瞳の色は違うと聞いていたが、金色と銀色の眼か。これはまた珍しい。それに噂通り美人なのだな……褐色肌もこれまた良い」

「……。いけません、マーレ様。興味があるからと言って、このような幼い子に欲情し手を出すなど……許されぬことです……」

「馬鹿者、人を異常者扱いするな。それに彼女は君よりはずっと歳が上だ。彼女たちは見た目は幼いが我々と同じように老いていく。更に年齢が上になるに連れて瞳の色が濃くなっていくと言われている。そうだとするとゼススは……今年で二七を数える私と同じくらいだろうか。生まれて三十年と言うには薄い」

「……。……なっ……!」

 アニーは真実を告げられ目を丸くする。その様子にゼススは不思議そうに二人を眺めアニーは衝撃の事実に右往左往するだけなのだった。

「『よし。では行くか。ここからルルアへは馬を飛ばせば明日の今頃には着く。……ゼススよ、もう一度イザベレ・ハーンへ挨拶をして来なさい。暫くはガベレアへ戻れぬ。動き始めているこの地に近付くにはもう少し時間が要る。その前に志半ばに倒れた友に別れをしてあげなさい』」

「『……友なんかじゃない。一度服従を誓った主だよ、イザベレは……』」

 マーレニツカの言葉にゼススは二人から離れて変わり果てたイザベレの前に立つ。曇で覆われた夜空は既に晴れ上がり、月光は地上に光をもたらしていた。改めて動かなくなたイザベレの手を取りもう生き返らないイザベレを襲った現実を改めて目のあたりにする。冷たくなっていたがその中でも短い間のイザベレと過ごした日々が蘇ってきて、ゼススはまた声を押し殺してイザベレの無念に涙した。ゼススは声を涙で歪めたまま何度もイザベレの名前を呼び静かに彼女の顎に手を添えたのである。

 その静寂な空間の中、後からやって来たマーレニツカたちさえも一切音を立てずに立ち尽くし偲びの意を持って静かに瞼を閉じる。月夜の下、冷たいガベレアの地に落ちたのはまたしても冷たい涙だったのであった。

 

 

 それからゼススはマーレニツカたちと共にルルアへと移り生活をし始める。突然やってきた者にマーレニツカの部下たちは例外なく驚きを見せていたが、小柄で愛らしい姿に彼女たちは警戒心を見せること無くゼススを出迎えた。ゼススはその様子に戸惑いを見せていたが、マーレニツカに逢った時のように敵意を見せること無く彼女たちの中へ混ざりこんでいった。

 これよりゼススはルルア勢の一人として戦場の中を駆けて行くこととなる。彼女の胸の中に、最愛の主であったイザベレの事を抱きながら。しかし、ゼススの胸には些かの無念も後悔も残っていなかった。日に日にかつてのトーヴァルニヤを取り戻そうとしているマーレニツカたちの働きぶりを見て、安心にも似た思いが大きくいつしかイザベレを思い返すゼススの表情は、空の彼方から見守っているであろうイザベレが心配なきよう柔らかく笑顔を浮かべていたのであった。

 

 

 ゼススの事件が起きてから数カ月後。舞台はサーデン王国へと移る。サーデン王国とブワッカ王国で出資し合ってガベレアに軍事拠点を構えようと急速な整備を行われている中、ガベレア共和国に古より住むトルニスス族の始末に失敗した上に特別に編成された部隊を失ってしまったサーデン王国軍は混乱の中にあった。事態の究明に追われ現サーデン国王のマティンシア=アンスベル王女は公務よりも慌ただしい日々を送っていた。

 第三の勢力からの妨害なのか、不慮の事故によるものなのか。死体の数から見られる限りでは他殺には違いない。けれどもどうしてこんな事に? そういった事態の収集も付かぬまま軍事拠点の建設も滞り、サーデン王国の発展は踏み足状態となっていたのである。

 一日中が忙しいマティンシアの多忙さは夜までに及ぶ。亡き夫の後を継ぎ疲労困憊の中眠りにつくこともまともに出来ないでいた。そして今夜も……護兵さえも立ち入ることが許されない、知る者しか分からない王女の部屋では今日も悲鳴にも似た快感に悶える声が木霊していたのだった。その部屋にはマティンシアと紅色の長い髪の女だけであった。

「これは一体どうしたというのですマティンシア様? 事態収拾は疎かガベレアの拠点建設も大幅な遅延が起きているそうではありませんか。一体貴女は何をしていたのでしょう?」

「――っあ……! ご、ごめんなさい……ごめんなさ……ああっ……!」

「幾ら許しの言葉を並べても無駄ですよ。言ったはずでしょう? サーデン王国を昔のトーヴァルニヤ帝国のように大きく豊かなものにするには気を抜く時間はないのだと。……どうやら王女様にはいまいち理解をして頂いていないようだ。これは私の責任としてしかと罰を処せねばなりますまい」

 蝋燭に火が一つだけが灯され岩に囲まれた暗い部屋の中。そこには腕を縛られベッドの上で悶えるマティンシアと紅色の髪の女の姿があった。紅色の髪の女はマティンシアの衣服を全て剥ぎ取り、豊満な彼女の身体を舐めるように弄り回し弄んでいた。マティンシアの綺麗に整えられた金色の陰毛を掻き分け容赦無い手つきで彼女の膣内に指を押し込んで紅色の髪の女はどこか楽しそうな表情を浮かべていたのである。

「やれやれ、罰を受けておきながらこちらは喜んでおられる。おまけに心地よさそうな声を出して……全く嘆かわしい」

「やっ……やあっ……! カ、カール……っ……! そんなに……激しくしたら……っ」

「激しいのは当然でしょう。それだけ償いは大きいと思って下さい。……なんですこの腰の跳ね方は、その気持ち良さそうな表情は? いけませんね、罰を快感だと思っているようでは……。これは痛みを持って知って頂くしかありません。全く、手のかかる王女様ですこと――」

 その言葉に紅色の髪の女は手の動きを速めて部屋一杯に響く水の音を強くしていく。それと同時に彼女はマティンシアの胸や尻に張り手を浴びせる。一つひとつが痛々しい音で響いていく中、マティンシアはやはり快感を孕んだ悲鳴を声を荒げて叫ぶのであった。

「ふふ。だらしないですね。一国の王女とあろう者が間抜けな表情で快感に溺れるなど。国民が知ったらさぞ憤ることでしょう」

「だっ……だめっ……! そんなことし……ら……はひぃっ!? い、いっひゃ……いっひゃう……っ!」

「構いませんよ。貴女が絶頂を迎える時こそ許しが叶った時。……ですがまだまだですよ」

 紅色の髪の女はそう言ってマティンシアの乳房に浮かぶ綺麗な色をした乳首に歯を立てて噛む。それに対しマティンシアはまた気持ち良さそうな声を出して真っ直ぐな金色の髪を振りながら鳴き続けるのであった。

「いやああぁぁっ……! お、おねがい、ひかせてぇっ……! カールの……いじわる……っ!」

「まあ、なんと無礼な。意地の悪きは貴女の方でしょう? これでは増々絶頂を向かえさせる訳にはいきませんね。……ほら、もっとお鳴きなさいな? 罵声は疎か痛みに快感を求めるなど……全く、家畜でもそんなことを言いませんよ。それでもが欲しいなら、仰せのままに――」

 その言葉を最後に紅色の髪の女はマティンシアの鎖骨に歯を立て手の動きを速めていく。マティンシアは小さな悲鳴とともに大きく身体を仰け反らせ絶頂の声を漏らす。痙攣とともにマティンシアは今横たわっている自身のベッドの上で快感のあまり放尿して身体の全ての力を抜いていった。

「あっ……ああっ……あ、ひぃっ……」

「……。ふん、力尽きたか。自らの縄張りだからと言って体液でそれを示すとはな。雌犬以下の王女め」

「……終わったの? カール」

 紅色の髪の女はマティンシアの愛液と放尿によって濡れた手を拭いていると、部屋に一つだけある扉の向こうから声がして彼女の注意がそちらへ向く。そして間もなくして扉は開かれて紅色の髪の女は彼女をキャロラインと名前を呼んだ。それに対して水浅葱(みずあさぎ)色の短い髪の女、キャロライン・シューブリッジは待ち焦がれた、というような表情とともに紅色の髪の女の元へと駆け出し両手を広げて彼女の身体を抱きしめた。

「ああ。今日ばかりは少し本気を出してしまったよ。すまなかったねキャロル。今からは私たちの時間だ」

「嬉しい……待った甲斐があるわ……! カール、愛してる……んっ……」

 キャロラインは身体をくねらせ、秘部や身体の全てを紅色の髪の女へと擦り付け唇を求め合う。マティンシアが放った水の音よりも彼女たちから生まれる音はより大きく、部屋の中に響いていくのであった。

「ねぇ、早く部屋に行きましょ? ……王女が腑抜けで痛めつけたいのは分かるけれど……夜は短いわ。一秒も、貴女の声を聞かないで居られないから……我慢の限界なの、私……」

「ふふ、分かった。今回の一件で有望だったアドルフ・エアハートは疎か絶対的な脅威にすることが出来るイザベレ・ハーンまでも失う結果になると残念で仕方ない。明日以降は今以上に働かなければならん。いずれ、小国ながら力が見え始めているルルアへ行かねばならない。最近消息を絶ったアニー・ヘーゼルダインたちの事も判るかも知れぬ。……だから今夜はそれらを忘れる為に激しくしたい。……構わないか、キャロル」

「もちろんよ……。私は、貴女にどこまでも付いて行くわ……。いつどんな時も、死ぬ時も一緒よ。最愛のカルアンヌ――」

 キャロラインの言葉を最後に二人は唇を求め合い、互いの身体を触ったり快楽の刺激になるであろう秘部などを弄ったりしていく。キャロラインが快感に声を大きくしていく中、紅色の髪の女はその美しい顔つきに似合わない程、轟々と音を立て燃え盛る炎のような鋭い目つきの赤色の瞳に宿して宙を睨めつけていた。その瞳には野望を叶えるために全てを――そんな思いが蔓延っていた。

 後に「紛擾のトーヴァルニヤ」とこの紛争は名付けられ後世に語り継がれることとなる。その中でもサーデン王国の中で大きい事件と言われている「ルルア戦役」に紅色の髪の女は次の日からルルア国攻略に乗り出すのだ。

 こうして紅色の髪の女――白兵戦に於いてクァレダ地方最強と称されたサーデン王国軍部隊統括長、カルアンヌ・ディ・グレゴリオはその紛擾のトーヴァルニヤの舞台に初めて姿を現すのであった。

 

 

 

 

 

 

紛擾のトーヴァルニヤより Ⅱ -ゼスス ヌイ ソヴォルダンテ-(完)

 

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ゼスス ヌイ ソヴォルダンテ/2016.3完結作品(2017.2加筆修正)

 

 

●あとがき

 

 ついに出てしまいました! クレイジーサイコレズ!! ウヒョーーーーーーーーッ!!!!(黙

 

失礼しました。ここまで狂ったキャラって美味しいものですから……(下衆顔

 

 さて。このお話は前回のお話(紛擾のトーヴァルニヤより Ⅰ -蟻聚の栖- 【R-18】 - 趣味のおもちゃばこ)の続きになります。

 深くは語りませんが、このお話も前回同様のテーマに沿っています。ですので中身はかなり暗い話であります。苦手な方、本当にごめんなさい……。

 前回に比べて表現は大分マシになった気がしますがまだまだですね。しかし個人的にはイザベレが頭を撃ち抜かれたシーンの表現が気に入っています。……自己満です、スミマセン……。

 このお話も前回に続いて面白かったと言って頂いておりまして、雨宮は喜びの舞を行っています。本当にありがとうございます! 続きは下記上がり次第掲載しますのでお楽しみに。

 

では、今回はこの辺で。

 

著作:雨宮 丸/2016 - 2017